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Tag: Singer 大阪

松原みき :note

■ 準備中 ☐ฺ 収集中 ☐ฺ 公 開 ☐ฺ 後 悔

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●氏 名: 松原みき(まつばらみき)
■生年月日: 1959年11月28日
■出身地: 大阪府
■血液型: O型
■バスト: cm
■ウエスト: cm
■ヒップ:  cm
■身長: cm
■趣味、特技:
■所属事務所:

 
全日本女優年鑑+
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松原みきMatsubaraMikiSinger38O1959/11/2844Death大阪A

要 件

  1. 松原みき
    1. 1959年11月28日生まれ
    2. 射手座O型
    3. 大阪府出身
    4. 身長160兮僚38kg(83.56.82)視力0.3<20歳当時>

効 果

+  発売DVD一覧
  • 松原みき 1959年11月28日生まれ射手座O型 大阪府出身 ☆身長160兮僚38kg(83.56.82)視力0.3<20歳当時> サウスポー・好きな色(白)・ 名前のみきは両親がある占いで名付ける。
  • 父は事業家(病院理事長・k.kコンサルタント)他で活躍。母は元JAZZ歌手、 「スマイリー小原とスカイライナーズ」「クレージー・キャッツ」で専属ボーカリストとして活躍(米軍の厚木、座間キャンプ内等でライブ活動を。結婚後引退された)
  • Mikiは小さい頃ジュリー・ロンドン、クリスコナーなどを聴きながら積み木で遊んでいた。4歳の頃には小児リュウマチで長期入院し病室でエラフィッツ・ジェラルドの「ミスティー」などのレコードを聴き過ごしていた時期もある。
  • 1966年4月、小学校に入学。クラッシックピアノを習い始める小学生でありながら口ずさむ歌はJAZZだった。(小1から小6まで学級委員を務める。)
  • 1972年4月、私立プール学院中等部に入学。キーボードに魅せられ、ロックバンド『愚麗(ぐれい)』に加入その後ジャンルを越えた数々のバンドを経て中3の夏、【8・8ロックデー】・ジュニア部門に出場、自作曲「エイプリル」を演奏する。
  • 1975年4月、私立プール学院高等部に進学。『吉野屋バンド』のキーボーダーとして、京都のライブハウス『磔磔(たくたく)』などで活躍。
  • 1977年、高3の夏頃、Mikiは本格的に音楽を勉強したいという気持ちになっていた。そこへ東京で勉強させてやる、という人が現れ(のちにMikiが所属する事務所の社長だった)なぜかスピーカー2本と下着だけ持って洗面用具も忘れて(?)上京し、東京の都立高校に編入する。
  • Mikiのプロへの「音楽的放浪」が始まる。高校を卒業後、東京・深川の東陽町で下宿、そして喫茶店でアルバイト(朝9時から午後4時まで・当時の時給480)をしながら音楽の勉強を続ける。またライブハウスや米軍キャンプのディスコなどへ通い音楽の感性を磨く。
  • 六本木のパブ『バードランド』に、なんとなく飛び込みで出演(ジャズのスタンダードナンバーを唄った)そこで ジャズピアニストの世良 譲氏より絶賛を受ける。デビューへの大きな追い風となった-
  • 1979年11月5日、シングル『真夜中のドア〜Stay with me』でキャニオン・レコードより鮮烈にデビュー。いきなり30万枚を越えるセールス、大ヒットを記録する。 (TVデビューは、CX「夜のヒットスタジオ」)
  • 昭和54年、デビュー曲「真夜中のドア〜Stay with me」が30万枚を超えるヒット。 62年には劇場用アニメ「ダーティペア」のテーマ曲を歌った。 最近ではテレビアニメ「おジャ魔女どれみ」シリーズの挿入歌を作曲。
  • 松原さんは、ジャズ歌手だった母親の影響で、音楽の道に進むべく、高校3年の夏に大阪の私立高校から、東京の都立高校に編入。79年のデビュー曲「真夜中のドア」がいきなり30万枚以上の大ヒット。81年には5枚目シングル「ニートな午後3時」を発売し、化粧品会社のキャンペーンソング(資生堂)となり、注目を集めた。 年間100本のライブをライフワークとしていたが、87年以後は音楽活動を休止。最近では02年4月にベストアルバム「anthology」を発売。人気アニメ「おジャ魔女どれみ」シリーズの挿入歌の作曲を手掛けるなど、創作活動に専念していた。

さらなる効果

判 例


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Comment:

通 説

  • この曲を耳にしたのは小学生の高学年の頃なのだが、それにしても今から考えると、そんな年でこんなそれ程ヒットしなかった曲を愛聴していたのか無気味な気がする。 ギターがカチャカチャいって、ラッパがはいっているファンク的な色彩もあって、いわゆるヒット曲ではない、凝った匂いのするポップスって曲である。サザンオールスターズが「いとしのエリー」をとばしたり、ツイストとか八神純子とか、わりとそれまでとは違ったいわゆる「ニューミュージック」といわれるもので売れていたが、それとも違う感じがする。ポップスだと思うんだけど。 この曲でこの年の新人賞レースにでてきたいたんだけど、全然まわりと違っていた。でも竹内まりあがいたか。その後も何度かヒットしそうな感じの曲があったと思うが、ヒットしなかった。どういう曲だった忘れるくらいなので、この曲以上のものではなかったんだろう。 最後の方のギターがすごく好きだった。 最近どうしているのかと思えば、ウルトラマンの曲つくっていたので、超驚きました。www.asahi-net.or.jp/.../ beatnik/kikzauni/kirei/
  • 234 名無しさん@恐縮です age New! 04/12/16 01:10:36 ID:
    本当にびっくりした。 初めて知ったのが、火曜日の朝、ニッポン放送の森永卓朗さんの番組。 リスナーからの情報とリクエストで。 真夜中のドア、久しぶりにほぼフルコーラスで。 車のラジオに思わず聞き入ってしまった。 翌日、水曜日の朝刊の訃報欄に掲載されていました。
  • 合掌 全日本女優年鑑偏執室
  • 17 名無しさん@恐縮です New! 04/12/15 16:25:01 ID:
    【林哲司/ナイン・ストーリーズ】1986/10 扶桑社刊 より抜粋 『セプテンバー(竹内まりや)』と前後して書いた作品が、松原みきの『真夜中のドア/Stay With Me』だ。 ある夏の日の夕方、僕のマンションにプールから帰ってきたばかりという、濡れた髪の少女が飛び込んできた。 それが松原みきだった。そんな彼女の姿を見ながら「こんな可愛らしい少女に僕が書いたポップスが歌えるのだろうか」 という疑問が浮かんだ。  さて『セプテンバー』によって、ヒット曲のポイントみたいなものが少しずつ分かり始めていた僕は、今度はまったく 反対のアプローチを試みたいと思った。すなわち、この歌は最初から洋楽志向でいこうと決め、英語の歌詞がのっても おかしくないようなメロディを書いてみたのである。こんな洋楽っぽい曲は、日本では絶対ウケないのではないか。 そういう不安を感じたりもした。  やがて三浦徳子さんの「ステイ・ウィズ・ミー」という歌詞がはまり、松原みきののびのあるヴォーカルがかぶさった。 するとどうだろう。さきほどの懸念などフッ飛んでしまうくらい、完璧に“歌謡曲”になっていたのである。 サウンド、メロディ、ヴォーカルが一体化して新しい“日本人の歌”としての息吹きを感じさせてくれるのだ。 『セプテンバー』『真夜中のドア/Stay With Me』の2曲は、大ヒット作とはならなかったけれども、僕自身の中で “林哲司サウンド”を確立する大きなキッカケとなった作品なのである。    しつこい わ た し m(_ _)m

  • 松原みきさん(まつばら・みき=歌手)2004/10月7日、子宮頸(けい)がんのため死去、44歳。 がんの告知を受けた3年半前から闘病生活。自宅は公表していない。葬儀は済ませた。喪主は??

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