北朝鮮 拉致拉致 / 辛光洙
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辛光洙 :note?

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○氏 名: 辛光洙(シンガンス)
○日本名: 立山富蔵
■生年月日: 1929年6月27日
■出身地: 日本国静岡県浜名郡新居町1004
■血液型: 型
■身長: cm
■趣味、特技:
■所属: 北朝鮮拉致グループ

 
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辛光洙ShinGansuSPY150O1929/6/2789北朝鮮R

要 件

  1. 辛光洙
    1. 朝日新聞 夕刊 1985年(昭和60年)6月28日【ソウル二十八日=小林(慶)特派員】韓国の国家安全企画部は二十八日、大阪の中華料理店に勤務していた日本人コックを朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にら致し、本人になりすまして日本に住み、スパイ網をつくって活動を続けていた
      ◎北朝鮮スパイ、辛光洙(56)=朝鮮労働党所属
      ◎辛に抱き込まれスパイ活動を行っていた金吉旭(57)=大阪市、衣類小売商
      ◎方元正(50)=東京都、ニューコリアン酒屋経営
      の三人を国家保安法違反、スパイ罪などの容疑でソウル地検に身柄とともに送検したと発表。
    2. 毎日新聞 夕刊 1985年(昭和60年)6月28日 金曜日:安全企画部の発表によると、辛は大阪市生野区鶴橋にある中華料理店「宝海楼」で働いていた日本人、原敕晃さん(四九)を北朝鮮にら致し、辛が原さんに入れ代わることを計算した。この計画に基づいて辛らは八〇年六月中頃、原さんを宮崎県青島海岸に連れ出し、待ち合わせていた北朝鮮工作船に原さんを乗せ、ら致した。 辛はその後、北朝鮮で原さんに入れ代わる訓練を受け、八〇年十一月に再び日本へ密入国した。辛は原さんになりすまし、住民登録を済ませ、原さん名義の旅券と運転免許証などを入手した。辛はこの旅券を使って八二年以来六回にわたり東京と欧 州、平壌の間を往復した。辛は韓国内でのスパイ組織づくりのため、今年二月二十四日に方元正とともにソウル入りした。辛は方の親戚にあたる退役将校を仲間に加えようとしたが、この退役将校が当局に訴えたため、二月二十六日にソウル市内のホテルで逮捕された。金吉旭は辛らの逮捕を知らずに韓国に入り逮捕された。
  1. 1985年 ソウル特別市内で韓国当局に逮捕.当初は死刑判決を受け後に無期懲役に減刑
  2. 1999年12月31日 ミレニアム恩赦で釈放
  3. 2000年9月2日 「非転向長期囚」として北朝鮮に送還
  4. 日本警察 辛光洙を国際手配

効 果

  • 1929/06/27 日本国静岡県浜名郡新居町1004で、土建労働者の亡父 辛チョンダルと亡母 ソ・ミョングムの5男2女中の5男として出生.
  • 1936/04頃 兵庫県尼崎市所在の立花小学校に入学→第3学年在学中に家庭の都合で転居.
  • 1938/12頃、富山県高岡市所在の下関国民学校の第3学年に転学.
  • 1942/03頃 同国民学校を卒業して、同校高等科に進学.
  • 1943/03頃 同高等科1年を修了.
  • 1943/04頃 高岡工芸学校の機械科に進学
  • 1945/10頃 同校第3学年在学中、8・15解放〔日本の敗戦による朝鮮の植民地支配からの解放〕により家族とともに帰国、慶尚北道浦項市鶴山洞に定着.
  • 1946/04頃 浦項中学校第2学年に編入.
  • 1948/02/07 同校第3学年在学中、校内左翼学生デモに加担して警察の指名手配を受けるや、ソウルに逃走.
  • 1948/04頃 ソウルの普成中学校の第3学年に編入して、同校第5学年の在学中、6・25動乱〔朝鮮戦争〕が起きる.
  • 1950/07頃 北傀〔北朝鮮傀儡政権〕義勇軍に自ら進んで入隊し、人民軍第1師団第14連隊に配属されて、南侵戦争に参加.
  • 1953/10頃、同第14連隊後方部糧食課の書記として服務中、特務上士で除隊.
  • 1954/03頃、いわゆる東欧共産国家の戦後復旧支援事業の一環として実施された海外留学生選抜試験を受けて合格.
  • 1954/09頃 ルーマニアのブカレスト工業大学の予科に入学、1年間の課程を修了.
  • 1955/09 同大学の機械学部に進学.
  • 1960/08 同学部5年を卒業して機械技師資格証を取得した後、北傀に復帰〔帰国〕.
  • 1960/10頃 北傀の科学院機械工学研究所の研究士として配置されて従事.
  • 1962/04頃 妻 李元求(イ・ウォング)と結婚、1男3女を出産.
  • 北傀は大韓民国政府を僭称して国家変乱を目的にして組織された反国家団体.
  • 1952/05/02 北傀の労働党に入党.
  • 1953/02/08 勲功メダルを授与.
  • 1971/02初旬頃 北傀対南工作員に選抜され、その時から1973年6月下旬まで、清津市内の招待所に収容.
    • 毎日07:00から23:00まで定められた日課表にしたがい、金(名未詳)指導員など7名の指導員から金日成主体思想、金日成革命歴史などに関する政治思想学習と通信技術教育、工作実務教育.
  • 1973/02下旬 日未詳10:00頃、同招待所で金指導員から「基本任務として、日本の大阪に居住する済州出身の在日僑胞 洪庚生(ホン・キョンセン)という女性を包摂〔組織に抱き込むこと〕し、教養〔思想的教育〕して、俺壕土台〔潜伏の拠点あるいは協力者〕を構築し、彼女の義弟である済州出身の民団〔在日本大韓民国民団〕千葉県本部副団長の李チェゴンを包摂教養し、事業土台〔政治工作活動の拠点あるいは協力者〕を構築すること、そうして李チェゴンに対南情報収集任務を与え、南半部の各種情報を収集探知して報告すること、副次的任務として、日本社会で公開されている各種の南半部〔共和国南半部、南朝鮮のこと〕の情報を収集して報告すること」などの対南工作指令.
  • 1973/07/02 20:30頃 元山港から工作母船に乗船出港し、2日後の7月4日、20:30頃、日本 石川県の能登半島先の海上に到着し、工作支船に乗り移って海岸側へ航海し、ふたたび小型ゴムボートに乗り移り、同日21:30頃、上陸地点である日本 石川県鳳至郡の猿山灯台の横の海岸に到着して日本に浸透.
  • 1973/07/07 08:30頃 大阪市生野区桃谷町所在の公訴外〔この刑事裁判で被告人になっていない〕洪庚生の家を訪問して、北送された〔帰国事業により日本から北朝鮮へ帰国した〕同女の息子 李ジンベが書き寄こした手紙と同人の写真を見せて、下部網〔組織の配下〕として包摂した後、その家の2階の部屋を潜伏処〔隠れ家、アジト〕として確保することにより俺壕土台を構築する一方、同女の義弟 李チェゴンを包摂しようとしたが、同人が頑強に拒絶したため失敗.
  • 1973/07下旬日未詳 洪庚生から隣人らが怪しんでいるので宿所を替えるように要請されて、付近の大阪市生野区桃谷町の在日僑胞 金チャフンの家の2階の部屋に1ケ月1万円の家賃で入居し、同年9月初旬日未詳、金チャフンから彼の義父の殷武岩(ウン・ムアム)が長野県小県郡武石村の美ケ原高原観光センターを管理していて従業員を求めていることを聞き、そこへ偽装就職して新しい俺壕土台を構築する目的で、彼に同センターの従業員としての雇用を依頼.
  • 同年9月下旬頃、殷武岩が管理している観光センター横の有料道路チケット販売所の販売員として就職し、同センター2階の宿所を潜伏処として用意.
  • 同年11月初旬日未詳20:00頃、同観光センター1階の殷武岩の部屋で、北送された同人の次男 殷ヨアンの手紙を見せながら、被告人の正体を明かし、同人を下部網に包摂して事業土台を構築し、その後、同人を通じて協力者を物色したが、これといった成果はなし.
  • 1976/01初旬日未詳、東京に居住する同人の長男 殷ユリオの助力により、東京都板橋区大山町の姓名未詳の日本人の家の1部屋を1ケ月1万円の家賃で借りて入居することにより、潜伏処を東京に移転.
  • 1976/02下旬日未詳19:00頃 同潜伏処で、殷ユリオから朝総連〔在日本朝鮮人総連合会〕東京都本部文化部指導員である公訴外 高基元(コ・ギウォン)を紹介.
  • 同月下旬日未詳13:00頃 大阪市東成区小橋の川べりの喫茶店で、高基元から在日僑胞である相被告人の金吉旭(キム・キルウク)を紹介され、同人に祖国統一事業をともに力を尽くそうではないかと提議し、同人から一度考えてみて次に会うときに確答するとの言質を取った後、同年3月初旬頃、『金日成著作選集』2冊、『76年度金日成新年辞』1冊、『祖国の平和統一を早めよう』1冊など、北傀の宣伝本4冊を金吉旭に郵送して耽読させる.
  • 1976/04初旬日未詳12:00頃 大阪市東成区東小橋の金吉旭の家で同人に対南工作事業に加わるならば、持病の高血圧も治療することができるようにするなどと再度勧誘して、同人の承諾を引き出すことにより、同人を下部網として包摂し、同年6月初旬日未詳13:00頃、大阪市天王寺区上本町6丁目の喫茶店「サン」で金吉旭と会い、彼に民団に偽装転向することと、約10日間余暇を捻出して北韓へ往来することを指示した後、同月中旬日未詳、高基元の周旋で神奈川県横浜市神奈川区東神奈川の朝総連系人物である李インスが管理する簡易宿泊所の5階の部屋を1日千円の宿泊料で入居して潜伏処を移転し、同年7月初旬日未詳24:00頃、同潜伏処で、ピョンヤン放送を聴取して復帰の準備をせよとの内容のA−2指令を受信して、その数日後の同月初旬日未詳10:00頃、復帰に備え、韓国に関する各種の情報資料を探知収集する目的で、東京都文京区水道橋所在の韓国書籍専門店である高麗書房で、韓国の政治、経済、社会、文化、体育などいろいろな分野の情報事項が収録されている東亜日報社発行の1976年度版『東亜年鑑』1冊を購入することにより、反国家団体の構成員がその目的遂行のために間諜〔スパイ〕.
  • 1976/08初旬日未詳14:00頃、大阪市天王寺区上本町の喫茶店「サン」で金吉旭と会い、同人に今後は被告人に代って“オオヤマ”と称する共和国から来た指導員が同人を担当して指導することになるので、その指導に従うようにと指示.
  • 1976/09中旬
  • 日未詳09:00頃 北傀に復帰するために、金吉旭とともに大阪市鶴橋駅から列車で出発
  • 同日14:00頃 富山駅に到着、その付近にある商号未詳ホテルに投宿して1泊.
  • 翌日20:00頃 乗用車でホテルを出発、約30分後に富山県滑川市大島の交差点付近の路上で金吉旭と別れた後、接線〔工作員同士が接触すること〕地点である滑川市の山の端にある早月川下流の“Y”字形の大型コンクリート構造物で防波堤が設置されている地点の海岸に身を隠して待機.
  • その日21:00頃 ゴムボートで出現した北傀の案内員2名と約定していた打石信号で接線し、彼らの案内でゴムボートに乗船出発して、そこから約500メートル沖の海上に停泊中の工作支船に乗り移り、日本の領海の外の公海上で待機中の工作母船に再度乗り移って航海.
  • 2日後の同月中旬日未詳10:00頃、元山港に到着.反国家団体の指令を受けて反国家団体の支配下にある地域に脱出.
  • 翌日から3日間かけて平壌市順安区域の順安招待所に収容.金(名未詳)指導員の指導下に、この間の日本に浸透して俺壕土台および事業土台を構築しながら、対南工作活動を遂行してきた事業総括報告書を作成し、金(名未詳)課長に同報告書を提出.
  • 1976/09下旬から同年12月下旬 平壌市龍城区域の龍城5号招待所に収容.金(名未詳)指導員の指導下に、政治思想学習、宣伝映画と歌劇、観光と見学などの教育.
  • 1977/01初旬から同年06月下旬 平壌市龍城区域サンサ洞とハシ洞一帯に位置する金星政治軍事大学に入校して外国語班課程を修了.
  • 1977/07初旬から同年12月下旬 平壌市萬景台区域の萬景台4号招待所に密封収容.政治思想学習、通信技術教育、化学暗書法などの工作実務教育.
1977年(昭和52年)11月15日 横田めぐみ(13歳)拉致 
1978年(昭和53年)07月07日 地村保志(23歳)と浜本富貴恵(23歳)拉致 
  • 注意:地村証言が正しいとすると、シン・ガンスは5号招待所ではなく1978/07には日本にいたことになる.
1978-1979/11 横田めぐみさん、蘇我ひとみと同一招待所に暮らす.拉致直後(北朝鮮説明)教官シンガンス?
  • 1978/01初旬から1980/02下旬 平壌市龍城区域の龍城5号招待所に密封収容.日本の政治、経済、社会、軍事、文化、風俗などの情報が収録されている各種の刊行物や書籍を探究、翻訳するなど、今後に日本人に偽装して活動するのに備え、いわゆる「日本人になるための学習」.
  • 1980/02下旬日未詳 10:00頃、同招待所において金指導員から「基本任務として、日本に浸透して合法身分を争取〔獲得〕し、俺壕土台および事業土台を構築して南朝鮮の各種情報を収集報告せよ。副次的任務として、日本で刊行されている各種資料を通して南朝鮮の情報資料を収集報告せよ」という指令.
  • 合法身分の争取方法については「大都市の市役所(市庁)や区役所(区庁)の戸籍担当職員を買収して、死亡の戸籍処理がなされないで生存者になっている死亡者の戸籍を入手し、その身分を盗用して対象者の人物になりすまして合法身分を争取するか、大都市あるいは港町に多くいる日雇い労働者、失業者のなかから適格者を物色した後、相手をよく把握し接近して心安くなってから買収して戸籍を入手し、その対象者を北朝鮮に拉致した後、その身分を盗用して対象者の人物になりすます方法」によることとし、身分盗用人物の物色の着眼点は、「日本人であること、年令は45歳ないし50歳くらいの被告人と似た年令であること、独身者で一家親戚がいない身寄りのない者であること、日本の警察に指紋や写真を登録したことがない者であること(前科者でないこと)、旅券の発給を受けたことがなくや外国旅行をしたことがない者であること、などの条件を満たす者」とするなどの指令.
  • 1980/03日未詳 同招待所で通信組織担当の姓名未詳の指導員から、「日本に入ったならば今年末までに暗号解読用の書物『ドンキホーテ』を購入して、金吉旭に取替えさせよ」という指示.
  • 1980/04中旬17:00頃 乗用車で龍城5号招待所を出発.
  • 同日18:30頃、南浦市臥牛島の海岸に到着.
  • 同日19:00頃、工作母船に乗船出航し、翌日、中共の山東半島の工作前進基地に寄港し、ふたたび出発してそれから3日後、日本の九州の南端の公海上に到着、同日19:00頃、工作支船に乗り移って日本の海岸に接近し、再度ゴムボートに乗り換えて引き続き接近.
  • 同日21:00頃 日本 宮崎県日向市の北端にある五十鈴川下流の海岸に上陸、.
  • 翌日05:00頃 列車で東京駅に到着.
  • 同日12:00頃 東京都板橋区大山町の商号未詳の食堂で下部網の殷ユリオに会い、彼から下部網に包摂する対象者であるかつて朝総連組織で活動していた公訴外方元正(パン・ウォンジョン)についての身上情報を収集した後、翌日、彼の周旋で東京都板橋区大山西町の日本人所有のアパートの2階の1室を1ケ月2万円の家賃で入居して潜伏処を用意.
  • 1980/04下旬日未詳12:00頃 川崎駅構内の商号未詳の喫茶店で高基元と会い、同人からふたたび方元正に関する身上情報として、彼が済州出身僑胞であり、母親が過去に金貸しをしていて、在日僑胞がたいそう世話になったなどの身上情報を把握した後、同月下旬日未詳12:00頃、大阪市北区梅田の飲食店「明月館」で朝総連大阪商工会会長の李吉炳(イ・キルビョン)と会い、同人の北送された息子、李ソクヘン、李チャンヘンが送ってきた写真と手紙を見せながら、今後対南工作事業に協力してくれるよう依頼し、同人を現地資金調達および連絡拠点責任者として包摂.
  • 1980/05初旬日未詳15:00頃 大阪市天王寺区上六の喫茶店「ユーエス」で金吉旭と会う.
  • 同月下旬頃、身分盗用対象人物を確保するときまで大阪に潜伏することを決心.大阪市安倍野区天王寺町北の商号未詳の簡易宿泊所に臨時の宿所を定め、そこに潜伏処を用意.
  • 同月下旬日未詳12:00頃 「明月館」で李吉炳と会い、彼に「日本人1名を是非とも送り込まなければなりません。この間、兄さん〔歳上の李吉炳のこと〕に迷惑をかけないように一人でやろうとずいぶん努力してきたが、うまくいかず、こうして訪ねてきました。ぜひ、探してみてくださいませんか」と依頼.
  • 2日後の 12:00頃 「明月館」で同人と再度会い、彼から「私が直接に探すことができるような所がないので、私の下で働いている者のなかでもっとも信頼している朝総連大阪商工会理事長の李三俊(イ・サムジュン)に、祖国で日本人1名を連れて行けと言っているので、年令が45歳から50歳くらいの独身で、前科がなく、日本からいなくなっても捜す人がいない人物を一人物色してみてくれと頼んだところ、李三俊が昨夜私のところへ来て言うには、物色するのもたいへんだし、またこんなことを誰にでも頼むわけにもいかず、考えあぐねたすえ、自分が経営している中華料理店「宝海楼」の従業員のなかに日本人の原 敕晁(はら・ただあき)という人物がいるが、祖国で要求している条件に適合しているので、この人物を送るのがどうだろうかと話しました。それで、私は祖国から来られた同志に相談して返事をもらうと言ったのですが、どうでしょうか」という報告を聞き、その場で彼に李三俊を電話で呼び出させ、その場所にやって来た李三俊から、対象者である原 敕晁の住民基本台帳1通と履歴書1通の提供を受け、これを検討した後、李三俊に「この人物に前科はありませんか」と質問し、彼から「私の知るところでは、前科もなく、独身で身寄りもないようです。それに、外国旅行も一度もしたことがなく、誰かに借金したことも、つけで酒を飲むこともなく、所得税を申告したことも、健康保険の申請や年金加入の事実もなく、銀行に口座を開設したこともないようです」という返答を聞き、その「原敕晁」が適合した対象であると判断、彼を身分盗用対象人物に選定することを決心し、李三俊に、「原敕晁」を祖国に送るまで身辺の面倒をよくみてやり、彼の戸籍を入手して本当に家族や親戚がいないかもう一度正確に確認するように依頼.
  • 翌日10:00頃 大阪市北区梅田の大阪国際電報局分局から北傀とあらかじめ定めていた方法で「身分盗用人物を物色したが、至急に帯同復帰〔連れて帰国すること〕の組織〔計画し、その計画にしたがって準備・活動すること〕を頼む」という内容を暗号にした国際電報を発信.
  • 同月下旬日未詳24:00頃 臨時の宿所である簡易宿泊所でピョンヤン放送を聴取し、「同志の活動成果を祝す。復帰日時は1980年6月xx日21:00、場所は宮崎県宮崎市青島海水浴場の北端の海岸とすること。時日が切迫しているので警戒心を高め間違いなく接線に臨むこと」という内容のA−2指令を受信.
  • 1980/06初旬日未詳12:00頃 「明月館」で李吉炳と会い、彼から身分盗用対象人物の日本人「原敕晁」の戸籍謄本1通と戸籍抄本1通を受け取って検討してみた結果、彼の父母はいずれも死亡しており、対象者一人が登載されていることを確認.
  • 同月中旬日未詳09:00頃 帯同復帰接線場所の安全性を点検する目的で、新大阪駅から列車で出発.
  • 同日17:00頃、宮崎駅に到着.そこからバスで30分の青島橘観光ホテルに着いて、観光客を装い接線場所である青島海水浴場北端の海岸を偵察した後、同観光ホテルのコーヒーショップに戻り、日没を待つ.
  • 同日20:30頃、同海岸を再度偵察、別に異常がなく安全なことを確認した後、大阪に帰る.
  • 同月中旬日未詳10:00頃 大阪市天王寺駅前の公衆電話を利用して李吉炳に同日19:00に大阪駅付近の新御堂筋にある商号未詳の高級料亭で集まって対象者「原」を宮崎に誘引し拉致する作戦を開始することを通報.
  • 同日18:00頃 金吉旭宅を訪問し、彼と連れ立って同日19:00頃、商号未詳の高級料亭に着き、同料亭の2階の部屋で、李吉炳、金吉旭と、「原」と連れ立ってやって来た李三俊らと会合し、飲食しながら、事前の計画どおりに、李吉炳が貿易会社の社長に仮装して「原」を新入社員として採用するための面接を実施するというように偽装し、途中で李吉炳が自分のカバンの中から100万円の札束を取り出し、被告人に差し出して「私は時間がないので、君達だけでこの金で旅行でもして、数日後に私の海岸の別荘でまた会おう」と言って席を離れると、被告人が参席者たちに「もう社長もいなくなったので、私たちだけで心ゆくまで酒でも飲みましょう」と言いながら、「原」に酒をたくさん飲ました後、事前の計画どおり、その日の20:30頃、李三俊が酒に酔った「原」を連れて先に外に出て、被告人と金吉旭がその後について出て、「原」を後から監視しながら、同日21:00頃、大阪駅から同じ夜行列車で出発し、翌日05:00頃、別府駅に到着、まず降りた李三俊グループが別府駅付近の商号未詳のホテルに投宿することを確認してから、そのホテルの近くの別の商号未詳のホテルに投宿し、同日23:00頃、同ホテルの部屋でピョンヤン放送を聴取し、予定どおりに接線するという内容の約定暗号である「29627」(被告人の生年月日)をA−2指令で受信して、計画どおりに接線を遂行することを確認して、翌日11:00頃、別府駅から李三俊グループについて列車で出発し、同日13:00頃、宮崎駅に到着、李三俊グループから離れて、金吉旭とともに市内観光をし、同日16:00頃、バスで青島に到着、市内の遊園地などを観光して時間をつぶし、同日20:30頃、約束の場所である青島橘観光ホテルのロビーで、先に着いて待っていた李三俊と「原」に会い、事前の計画どおり、被告人が、すでに夕食時に酒を飲んで泥酔状態の「原」に、「寝るにはまだ早すぎるので、海岸へ散歩に行こう」と誘い、李三俊はホテルのフロントへ行って勘定をするふりをして、被告人と金吉旭は酒に酔った「原」を連れて海岸の松林を通って接線場所である青島海水浴場の北端にある小さな小川が流れる地点に到着するや、そこに上陸して潜伏していた北傀の案内員4名が現われて彼らと接線し、「原」を安心させる目的で、被告人が「原」と金吉旭に「うちの会社の船を持って来た人たちだから、心配しなくてよい。私と「原」が先に社長の別荘に行って、このボートを戻すから、常務と李三俊理事長は後から来てください」と言い、金吉旭と別れて「原」をゴムボートに乗船させて出発し、工作支船を経て工作母船に乗り移って航海し、4日後の1980年6月中旬日未詳07:00頃、北傀の南浦港に到着することにより、反国家団体の構成員がその目的遂行のため略取誘引.
  • 1980/06中旬日未詳07:00頃 南浦港に到着.出迎えに来た金指導員ら3名の指導員に日本人「原敕晁」を引き渡し、平壌市龍城区域の龍城1号招待所に収容.
1980年(昭和55年)06月17日 原敕晁(43歳)拉致 
  • 同月中旬から同年11月下旬までの間、平壌市龍城区域の東北里3号招待所に密封収容され、定められた日課表にしたがい政治思想学習、外国語学習、日本化学習などの教育を受ける一方、日本に浸透して日本人「原敕晁」になりすますための準備過程として、同人の学歴、経歴、家族関係などいろいろな身元事項を暗記し、また同人の経歴に符合するよう料理士の職業訓練を受け、日本で身分証明書の代りに通用している自動車運転免許証を取得する目的で、自動車運転の教育を受けるなど、対南工作活動をするための工作員学習
  • 1980/10/10 09:00頃から約3時間 平壌市牡丹峰区域琵琶街の2・8文化会館で開催されたいわゆる朝鮮労働党第6次党大会に参加.同党中央委員会総書記の金日成の第6次党大会報告を傾聴.
  • 1980/11初旬日未詳10:00頃、東北里3号招待所で、金(名未詳)指導員から「基本任務として、日本に浸透して合法身分獲得のため法的手続を済ませて社会的信任を得て、徹底的に日本人「原敕晁」を偽装し、完全に合法身分を争取し、掩壕土台および事業土台対象を物色包摂し、これを土台にして南朝鮮に情報網を扶植して各種情報を収集報告せよ。副次的任務として、日本で収集可能な南朝鮮についての各種公開情報資料を収集報告し、タイまたは香港などの第3国の国籍を取得して第3国に拠点を準備することのできる方途を考究せよ」という対南工作指令.
  • 同月下旬日未詳17:00頃 乗用車で東北里3号招待所を出発.
  • 同日18:30頃 南浦港臥牛島に到着.
  • 同日19:00頃 工作母船に乗船して出港し、中共の山東半島所在の工作前進基地を経由して、4日後の19:00頃、日本 九州地方 宮崎県付近の公海上に到着、工作支船に乗り移って航海し、さらにゴムボートに乗り換えて海岸に接近し、同日20:30頃、上陸地点である日本 宮崎県宮崎市青島海水浴場北端の海岸に到着、同日21:00頃、宮崎駅から列車で出発、翌日05:00頃、大阪駅に到着した後、大阪市安倍野区天王寺町北の簡易宿泊所に到着.
  • 同日12:00 大阪市北区梅田の「明月館」で李吉炳と会い、同人から住民登録地が大阪府東大阪市下小阪670に移転した「原敕晁」の住民票1部の提供を受け、また包摂対象の方元正の住所と電話番号を同人に尋ね、手帳に記載するなどして身元事項を把握し、1980年12月初旬日未詳18:30頃、大阪市天王寺区の都ホテルの号室未詳の部屋で金吉旭と会う.
  • 同月初旬日未詳 下部党員である高基元の周旋で以前に潜伏処に活用したことがある横浜市神奈川区東神奈川の朝総連の組織員である李インスが管理している簡易宿泊所の5階の3号室に入居して潜伏処を移転.
  • 同月中旬日未詳10:00頃 東京都新宿区新宿3丁目の紀伊国屋書店で暗号文解読用の書物である日本語翻訳の文庫本『ドンキホーテ』1冊を購入.
  • 同日12:00頃 東京都新宿区西新宿の新宿郵便局から金吉旭に小包で発送.
  • 1981/01初旬日未詳15:00頃 大阪市北区梅田駅前の商号未詳の喫茶店で李吉炳と接触し、彼から、北傀から人づてに送られてきた、民団佐賀県本部青年部長の朴コンチャを包摂せよとの署名指示文の伝達を受ける.
  • 同月初旬日未詳17:30頃 佐賀県藤津郡嬉野町の朴コンチャの父親が経営するホーヨーホテルで朴コンチャに会い、北傀の清津製鉄所でボイラー工として働いている同人の伯父 朴トンチョルの手紙と写真を見せながら、対南工作活動に協力してくれと依頼して、次に会う機会に確答するとの同人の言質.
  • 1981/01中旬から同年05月初旬 前後3回にわたりホーヨーホテルで朴コンチャと接触し、彼に『朝鮮労働党第6次党大会報告文』1冊を提供して教養しながら、対南工作活動に加わるよう勧誘しているうち、彼が住宅建設事業に関与していて取引会社の不渡り倒産により日貨1800万円ほどの負債をかかえ資金難に苦しんでいることを知り、1981年5月初旬頃、現地資金調達網員である李吉炳から日貨1800万円を借用.
  • 1981/05中旬日未詳19:00頃 ホーヨーホテルで朴コンチャと接触して、彼にその金から1000万円を提供して同人を下部網に包摂して、即座に、クォン・ジュンテク、ナムグン・ヨンムン、ナムグン・ヨンヨン、ムン・チェゴン、イ・テウ、イム・スンスン、パク・ビョンヒョンらの韓国内の包摂可能な人物に関する身元情報の報告を受け、朴コンチャに「南朝鮮に何度も往来し、彼らに接近して、把握・包摂し、彼らを通じて南朝鮮の各種情報を探知収集してください」という課業の指令.
  • 1981/05下旬日未詳14:00頃 新宿区高田馬場駅付近の商号未詳の喫茶店で方元正と接触して互いに挨拶を交し、同年6月日未詳、東京都豊島区要町2の30の同人の家を訪問するなど、彼と接触しながら、身元事項を調査.
  • 方元正は、済州出身で6・25動乱中に日本に密航し、イム・クンムンという人物の外国人登録証を入手し、彼の名前を行使.朝総連傘下機関の朝鮮通信社に勤務していたが、反・金炳植(キム・ビョンシク)系列として罪に問われて強制的に追い出され、その後、麻雀屋をしたが、彼の母親が金融業で多大の負債を背負って死亡すると経済的な打撃.現在、「泉物産」という商号で個人金融業をしているが、経営不振で廃業状態であり、東京都中野区中野にある在日僑胞が経営するゲームセンターを管理するアルバイト.彼の妻が保険会社の外務員をしてやっと生計を維持している実状であり、2男1女の子供.
  • 1981/06下旬日未詳13:00頃 方元正の家を訪問して、彼から「今度、妻の金ドジャが、北送された妻男〔妻の兄弟〕と妻兄〔妻の姉〕の家族に会うため、短期訪問団で祖国に行くことになりました」という話を聞いた時、被告人の正体を明かして、彼を包摂する目的で、彼に「実は、私は「坂本」ではなく、共和国から来た洪万植です。方先生と夫人が、過去に朝総連の活動をしてきたので、信用して話しましょう。このたび、夫人が共和国に行かれるそうで、けっこうなことです。祖国に行かれたら、私の家族がピョンヤンに住んでいますので、一度会ってみてください。何かと手助けするでしょう。私が私の上の息子にあてて手紙を書きますので、持って行って渡してください」と話してから、その場で被告人の長男 辛ヨンゴルあてに「この手紙を持って行くおばさんは、父がたいへんお世話になっている方なので、訪ねて行ったら便宜をはかってあげるようにしなさい」という内容の手紙を作成して彼に提供.
  • 1981/07中旬日未詳20:00頃 方元正の家を訪問し、彼から「私の妻がこの前に祖国へ行った時、洪先生の家を訪ねて行って手紙を渡したそうです。そして、洪先生の息子さんと奥さんにピョンヤン外貨商店で購入したセイコーの腕時計1個と洋傘1個をそれぞれ贈物にしましたが、家族の皆さんは涙を流して先生の安否を心配していたそうです。それと、私の妻が自分の家族たちに会ってみたところ、妻の兄弟の金ボンギがスパイ罪で捕らえられて行って収容所生活をしているために会うことができず、家族たちによれば、南朝鮮の放送を聴いたために捕らえられて連行されたとのことです」という話を聞いて、彼に「方先生の義弟については、調査したうえで、よいとりはからいができるよう努力してみましょう。今後、無理なことは頼みませんから、すこし協力してもらい、まず安い部屋を一つ手に入れてください」と要請.
  • 1981/08月中旬日未詳20:00頃 ホーヨーホテルで朴コンチャと会う.
  • 1981/09月初旬日未詳 方元正の周旋で、彼の家の付近の東京都豊島区要町1の20にある要町マイコーポ302号を、日本人「原敕晁」名義で契約し、保証金20万円と1ケ月4万5000円の家賃で入居.
  • 同月初旬日未詳11:00頃、東京都豊島区所在の名未詳の郵便局で、「原敕晁」の本籍地である島根県松江市役所(市庁)戸籍課長あてに「海外旅行に必要なので戸籍抄本を速達で送付願います」という内容の申請書を発送し、約10日後に「原敕晁」名義の戸籍抄本を入手して、同月中旬日未詳10:30頃、大阪府東大阪市役所で、「原敕晁」の住民登録地を大阪府東大阪市下小阪670から東京都豊島区要町1の20所在の要町マイコーポ302号に転出申告をし、同日15:00頃、東京都豊島区役所(区庁)で、連れ立って行った方元正を前に立たせて、「原 敕晁」の住民登録転入申告をすませると同時に、同人名義で印鑑登録証、国民年金手帳、国民健康保険証などの発給を受け、同年10月初旬頃、「原敕晁」名義の自動車運転免許証を取得.
  • 同月中旬日未詳13:00頃 方元正の家で、同人から彼が経営していたが廃業状態にある個人金融業「泉物産」に在職しているという内容の社員在職証明書を入手.
  • 同月下旬日未詳11:00頃 東京都千代田区有楽町の交通会館の建物の中にある東京都旅券課で旅券を申請.
  • 同年11/02 「原敕晁」名義の日本国旅券の発給を受けるなど、日本人「原敕晁」としてのいわゆる合法身分を争取.
  • 1981/11中旬日未詳10:00頃 被告人の宿所で、方元正に正式に被告人の正体を明かした後、対南工作活動にともに加わってほしいと勧誘し、同人の承諾を受けることにより同人を下部網として包摂.
  • 同月中旬日未詳18:00頃 方元正の家で、彼から「先生の指示どおり、南朝鮮へ自由に往来するために、民団に偽装加入しようと思いますが、戸籍上の名前ではないイム・クンムンという名前を使ってきたために、すぐに加入することができないので、やむをえず秋季墓参団で南朝鮮へ行き、戸籍を取って来て、密航の事実を自首し、特別在留許可を取って、戸籍上の名前である方元正として、民団に加入しようと思います」との報告を受けて、彼に「体に気をつけて行ってらっしゃい。南朝鮮に入ったら、まず捜査機関に疑われるような行動は一切しないで、南朝鮮で見聞きしたことのなかで情報資料になるものだけを記憶して、帰ってきたら私に話してください。そして、親戚や友人のなかから1〜2名程度、包摂可能な人物を物色してください」と課業指令.
  • 同年12月中旬日未詳18:00頃 宿所で、秋季墓参団で国内に潜入して帰日した方元正と会い、彼から「金浦空港で降りて出口から出たら、妹が出迎えに来ていて、ずいぶん久しぶりに会ったので涙が出ました。3泊4日間の公式日程にしたがい一行と観光がてら産業視察をしましたが、私に代表演説をしなさいと言われて、演説までしました。ソウルと釜山、済州、梁山などの土地へ行き、親戚や友達と会い、墓参りもしてきました。そして、これから民団に偽装加入するために、戸籍も取ってきました。親戚や友達と今後義理関係を回復していけば、1〜2名程度は包摂が可能であるようです」などの内容の国内潜入と活動状況の報告を受け、また公訴外 ソン・チソプ、ハン・ジョンユン、米国人ボブ、ハン・テソプ、キム・ソンヒュ、チョ・ジョンチェ、キム・チェオク、キム・チャンスン、ファン・ギョンドゥ、ハン・サンハクなどの包摂可能人物についての身上情報の報告.
  • 1982/02初旬日未詳 在日対南工作員の検閲などの目的で渡日した北傀労働党中央委員会の調査室長 姜海龍(カン・ヘリョン)と金(名未詳)指導員が、方元正と直接会ってみたいと要請してきたので、同人といっしょに両人が投宿している東京都千代田区有楽町の帝国ホテルを訪ね、その両人と直接に会い、工作資金として100万円を出してもらえるように周旋.
  • 同月中旬日未詳21:00頃 宿所で、ピョンヤン放送を聴取し、「3月中に第3国を通って復帰すること。復帰方法と日時を報告すること」という内容のA−2指令を受信.
  • 同月下旬日未詳19:00頃 被告人の宿所で、復帰指示に対する報告として「3月23日に東京から出発してパリで接線して復帰する」という内容の暗号報告文を作成して、翌日10:00頃、東京中央郵便局から国際郵便で発送し、同年3月下旬日未詳17:00頃、被告人の宿所で方元正と会い、彼から「今度、3月末頃、寒食省墓団で夫婦同伴して南朝鮮に入る予定です」という国内潜入予定の報告.
  • 1982/03/23 08:00頃 宿所から方元正の乗用車で出発.約10分後、東京都台東区人形町所在の箱崎空港バスターミナルに到着.方元正と別れて空港バスで成田空港.
  • 同日11:00頃 ソ連エアロフロート航空便で出発、中間寄着地のモスクワを経由して、同日17:00頃(以下、現地時間)、パリのドゴール空港に到着.
  • 空港の各出口に待機していた金(名未詳)指導員と接線.彼の案内でパリ市地名未詳所在の商号未詳のホテルに投宿、1泊.
  • 翌日14:00頃 金指導員が事前に準備してきた北傀旅券を受け取り、彼の案内でドゴール空港からソ連航空便で出発.
  • 同日17:00頃 モスクワ空港に到着.そこで待機していた北傀大使館の乗用車でモスクワ市内の北傀大使館に到着、その8階にある宿所.
  • 翌日17:00頃 金指導員の案内でモスクワ空港から北朝鮮民航機便で出発.
  • 翌日09:00頃 ピョンヤンの順安飛行場に到着.
  • 1982/03下旬-1982/05月初旬 平壌市龍城区域の東北里3号招待所に密封収容され、日本浸透の状況、日本人「原 敕晁」名義のいわゆる合法身分を争取した事項、下部網の方元正、朴コンチャ、金吉旭、李吉炳、高基元らとの活動状況など、日本に浸透して対南工作を推進した活動の総括報告書を作成して、姜海龍調査室長に総括報告する一方、定められた日課表にしたがい、金指導員の指導下で政治思想学習、情報学実務学習、観光と見学、映画と歌劇の観覧、などの教育.
  • 1982/04/14 平壌市牡丹峰区域琵琶街の2・8文化会館で開催されたいわゆる金日成首領誕生70周年記念行事に参加し、朴成哲(パク・ソンチョル)副主席が行った金日成首領70星霜業績報告演説を傾聴.
  • 1982/04中旬日未詳10:00頃 東北里3号招待所で、金指導員から「基本任務として、日本にふたたび浸透し、合法身分をさらに強固にして、下部網の方元正を操縦して、早い時期に工作対象人物を選抜、教養、包摂するようにして、その対象に課業を与え、各種の対南情報を収集報告するようにせよ。副次的任務として、身分の安全と有事に備えて、タイ、香港など東南アジア地域に新しい拠点を構築して、南朝鮮および日本に関する合法、非合法の情報資料を収集報告せよ」との指令.
  • 1982/05初旬日未詳11:00頃 再度日本に浸透するために、金指導員の案内でピョンヤンの順安飛行場から北傀民航機便で出発.
    • 同日13:00頃(以下、現地時間)、モスクワ空港に到着.そこの北傀大使館の宿所で1泊
    • 翌日10:00頃 モスクワ空港からソ連エアロフロート航空便で出発.
    • 同日15:00頃 パリのドゴール空港に到着し、金指導員に北傀旅券を返納し、彼と別れる.
    • 同日10:00頃 「原敕晁」名義の旅券でドゴール空港からスイス航空便で出発.
    • 同日17:00頃 スイスのチューリッヒ空港に到着、その付近の商号未詳のホテルに投宿、1泊.
    • 翌日10:00頃 チューリッヒ空港からスイス航空便で出発、経由地のアテネ、ニューデリー、バンコク、香港など経由.
    • 1982/05/07 19:00頃 東京の成田空港に到着して、それまでの潜伏処である東京都豊島区要町1の20の要町マイコーポ302号に復帰.日本に再度浸透.
    • 翌日の同月初旬日未詳20:00頃、佐賀県藤津郡嬉野町のホーヨーホテルで下部網の朴コンチャと会い、そこで3日間わたりA−3指令受信方法、暗号報告文作成要領、通信諸元熟知など、工作実務教育を実施.
  • 同月中旬日未詳14:00 被告人の宿所で、下部網の方元正(南朝鮮潜入者)と会う.
  • 1982/05末頃から約1ケ月間にわたり随時に、宿所で、下部網の方元正にA−2指令受信方法、暗号指令文解読方法、隠書使用方法、通信諸元などに関する工作実務教育を実施して、同年6月下旬日未詳、大阪市天王寺区上六の喫茶店「サン」で、この間韓国に往来していた金吉旭に会う.
  • 1982/11中旬日未詳 朝総連系在日僑胞チョ・チュンシンが経営する群馬県高崎市南大類867のパチンコ店「パルコ高崎」に従業員として偽装就職.同店舗2階の従業員宿舎に居所を移して、新しい潜伏処を用意.
  • 1982/12末日未詳12:30頃、方元正の家で同人と会い、彼から「明日、南朝鮮に入って行く」という報告を受け、彼に包摂対象者であるチョ・ジョンチェ大領を通じて、軍事関係情報を重点的に入手して、特に「チームスピリット,83」訓練関係についての資料を収集せよと指示する一方、工作資金として日貨30万円を提供.
  • 1983/01初旬日未詳13:00頃 方元正の家で、国内に潜入して帰日した同人と会う.
  • 1983/01/20 00:00頃 宿所で、日本製ソニーラジオのダイアルを短波5535キロヘルツのピョンヤン放送に合わせ、呼出し符号503号によるA−3電文125条を受信、暗号解読用の書物『門』を使って解読.
  • 1983/01下旬日未詳09:00頃 東京都豊島区要町1の20の要町マイコーポ302号の以前の潜伏処で、方元正と会い、彼から李吉炳の便で送られてきた北傀の署名指示文を伝達され、パチンコ店「パルコ高崎」の2階宿所の潜伏処に戻り、北傀からすでに下達されている隠語を代入して解読.
  • 1983/03下旬日未詳09:00頃 東京都豊島区要町の方元正の家で同人と会い、彼から李吉炳を通じて送ってきた北傀の署名指示文の伝達を受け、パチンコ店「パルコ高崎」の2階宿所の潜伏処に戻り、北傀からすでに下達されている約定の隠語を代入して解読.
  • 1983/04中旬日未詳14:00頃 大阪市天王寺区上六の喫茶店「ユーエス」で金吉旭と会い、同人に「これから、南朝鮮の医学協会、医師会、薬剤師会の会員名簿を収録した書籍を入手してください」という指示をするなどして、反国家団体の利益になるという事情を知りながら、その構成員と会談.
  • 1983/05/23 23:00頃 東京都豊島区要町1の20の要町マイコーポ302号の潜伏処で、日本製のソニーラジオのダイアルを短波5535キロヘルツのピョンヤン放送に合わせ、呼出し符号505号により、A−3電文50条を受信、暗号解読用書物『門』を使って解読し、「同志の要求どおり、5月27日にオーストリアで接線する。オーストリア駐在大使館の82−9238あるいは82−9239に電話.
  • 1983/05月下旬日未詳10:30頃 東京都文京区水道橋の高麗書房で、韓国の政治、経済、社会、文化、体育などに関するいろんな情報事項が収録されている東亜日報社発行の1983年度版『東亜年鑑』1冊を購入して、国家機密を探知・収集.
  • 1983/05/28114:00頃、北傀に復帰するため、方元正の家から同人の乗用車で出発し、箱崎空港バスターミナルに到着.
    • 彼と別れて、リムジン空港バスに乗り空港に到着、同日17:00頃、「原 敕晁」名義の旅券を所持してスイス航空便で出発、翌日11:00頃(以下、現地時間)、スイスのチューリッヒ空港に到着して、同日14:00頃、チューリッヒ空港からオーストリア航空便で出発し、同日15:00頃、オーストリアのウイーン空港に到着して、そこから空港バスに乗り、約30分後、ウイーン市内の空港バスターミナルに到着、同ターミナル付近にある公衆電話を利用して、約定した接線方法にしたがい、北傀大使館(電話82−9238あるいは82−9239)に電話し、同日16:00頃、ウイーン駅の待合室で、北傀労働党中央委員会調査部所属のチョン(名未詳)指導員と接線し、彼から仮名の北傀旅券を受け取り、彼の案内で国際列車で出発し、同日18:00頃、ハンガリーのブタペスト駅に到着、ブタペスト市内所在のチョン指導員の宿所に1泊して、翌日13:00頃、ブタペスト空港でチョン指導員と別れ、ハンガリー航空便で、同日10:00頃、ソ連のモスクワ空港に到着、出迎えに来た北傀大使館の乗用車で出発し、北傀大使館の宿所に到着、1泊して、翌日10:00頃、モスクワ空港から北傀民航機便で出発し、同日18:00頃、ピョンヤンの順安飛行場に到着することにより、反国家団体の指令を受けるために反国家団体の支配下にある地域に脱出.
  • 1983/06初旬から1983/11ま 東北里3号招待所に収容されて、定められた日課表にしたがい、政治思想学習、情報学実務学習、観光と見学、映画観覧など、工作実務教育を受け、同年9月8日には、平壌市牡丹峰区域琵琶街の2・8文化会館で挙行されたいわゆる北傀共和国35周年記念行事に参席し、朴成哲副主席の記念演説を傾聴して、
  • 同月下旬日未詳10:00頃、東北里3号招待所で、金指導員から、基本任務.
  • 1983/11月初旬日未詳18:00頃 東北里3号招待所で歓送宴をしてもらい、翌日11:00頃、ピョンヤンの順安飛行場から、今回の復帰時にオーストリアで接線したハンガリー駐在のチョン指導員の案内で、北傀民航機便で出発、同日13:00頃(以下、現地時間)、モスクワ空港に到着し、北傀大使館の宿所に1泊し、翌日10:00頃、モスクワ空港からソ連のエアロフロート航空便で出発、同日13:00頃、ハンガリーのブタペスト空港に到着して、ブタペスト市内のチョン指導員の宿所で1泊し、次の日の10:00頃、ブタペスト駅から国際列車で出発、同日12:00頃、オーストリアのウイーン駅に到着、仮名の北傀旅券をチョン指導員に返納して、彼と別れた後、17:00頃、ウイーン空港からオーストリア航空便で出発、同日19:00頃、スイスのチューリッヒ空港に到着し、同空港付近の商号未詳のホテルで1泊して、翌日10:00頃、チューリッヒ空港からスイス航空便で出発、翌日15:00頃、タイ国のバンコクに到着して、バンコク市内の商号未詳のホテルに投宿しながら、北傀指令事項の一つである東南アジア地域に新しい拠点を構築するための事前踏査の目的で、バンコク市内を歩き回り、市内の地理を観察・把握し、その翌日の同年11月13日11:00頃、バンコク空港からタイ航空便で出発、同日18:00頃、東京の成田空港に到着して、日本に浸透.
  • 1983/11中旬日未詳 方元正の周旋で東京都豊島区東池袋1−26−4のサンフラワービルアパート504号を1ケ月6万円の家賃で入居.
  • 同年12月初旬日未詳14:00頃、方元正の家で同人と会い、彼から「チョ・ジョンチェ社長が日本イヤサカ本社の招待で会議参加のため来日した時に会ってみたが、彼は韓国イヤサカ会社の実権を掌握するため、日本人や韓国人が所有する株式の40パーセントを約4000万円で入手しようとしているが、金がなくて困っているので、チョ社長を包摂しようとするなら、我々が資金援助するのがよいでしょう」という報告を受け、彼に「それならば、私が日貨4000万円程度を何とかして用意して支援してやりますから、チョ社長包摂工作を積極推進してみてください」と指示しながら、対象者包摂工作活動費として日貨50万円を渡す.
  • 同月下旬日未詳、方元正に「これから高崎市のパチンコ店で働けるようになりそうなので、私が宿所として使っているサンフラワービルアパート504号を、ここで働いている女性従業員の宿所として使ってください」と指示した後、群馬県高崎市南大類867のパチンコ店「パルコ高崎」の従業員として再度偽装就職し、同店舗2階の従業員宿所に居所を移して潜伏処を用意.
  • 1984/01中旬日未詳12:00頃 東京都豊島区要町の方元正の家で同人と会い、彼に「今、チョ・ジョンチェ社長に資金援助するために努力中です。本部から「チームスピリット' 84」訓練の資料を収集せよという指示が来ているが、方先生もチョ社長を通して資料を収集するようにしてください。そして、資料を収集したら、私にすぐ報告してください」と指示.
  • 1984/03/14 13:00頃 北傀に復帰するため、方元正の家を乗用車で出発、成田空港に着いて彼と別れる.
    • 同日16:00頃、成田空港から香港航空便で出発.
    • 同日19:00頃(以下、現地時間)、香港空港に到着.香港市内所在のプラマホテルに投宿、翌日から2週間にわたり、指令事項である香港、マカオなどの第3国に新しい工作拠点を構築するため、市街地を観察する目的で香港市内を徘徊、観察しながら、香港市街地の5万分の1の地図、香港観光案内書、不動産案内書など3冊を購入.
    • 2日後の17:00頃 連絡船で香港からマカオに渡り、メトロホテルに投宿し、翌日から約2週間にわたり、シントラホテル、リスボアホテル、エストリルホテルなどを転々と宿泊しながら、活動拠点を構築するための合法身分の獲得方法を調べるため、賭博場などを徘徊、観察.
    • 同年3月末日未詳09:00頃、マカオ中央郵便局の待合室で、中共の広州駐在の北傀工作指導員である朴(名未詳)指導員と接線し、彼の案内によりタクシーでマカオ市内観光バスターミナルに行き、そこから観光バスに乗り、マカオ・中共国境地帯に到着し、入国手続を取った後、中共のタクシー.
    • 同日17:00頃、広州市内所在の「東方賓荘」旅館に着いて2日間投宿して、2日後11:00頃、広州空港で朴指導員から北傀旅券と航空券を受け取り、彼と別れて、中共民間機便で出発、同日17:00頃、北京空港に到着して北傀大使館の宿所に1泊して、翌日14:00頃、北京空港から北傀民航機便で出発、同日16:00頃、ピョンヤンの順安飛行場に到着することにより、反国家団体の指令を受けるために反国家団体の支配下にある地域に脱出.
  • 同月下旬日未詳、パチンコ店「パルコ」から、新しく開店した群馬県前橋市広瀬町のパチンコ店「コスモス」の従業員として転職し、同店舗の2階の従業員宿所に潜伏処を移.
  • 同年2月初旬日未詳09:00頃、長野県の上田駅付近の商号未詳の喫茶店で、朝総連長野県商工会会長の鄭武鎮(チョン・ムジン)と会い、彼から工作資金として支援要請した日貨4000万円中、1200万円を収受し、同日12:00頃、群馬県の高崎駅付近の喫茶店「ナポリ」で方元正と会い、彼に包摂対象者のチョ・ジョンチェを包摂するための工作資金として同1200万円を提供.
  • 約5日後の同月中旬日未詳09:00頃、長野県上田駅付近の商号未詳の喫茶店で鄭武鎮と会い、彼から工作支援資金4000万円中の資金2800万円を収受し、同日12:00頃、群馬県高崎駅の待合室で方元正と会い、彼に同2800万円を提供して、包摂対象者のチョ・ジョンチェの包摂を指示し、同月中旬日未詳13:00頃、パチンコ店「コスモス」付近の公衆電話を利用して方元正に電話し、工作資金4000万円をチョ・ジョンチェに伝達したことを確認.
  • 1984/04初旬日未詳17:00頃 東北里3号招待所に到着して収容された後、翌日から5日間にわたり、その間の日本での活動内容に関する事業総括報告書を作成して提出する一方、方元正を通じてチョ・ジョンチェから入手した「チームスピリット' 84訓練計画書」を提出.
  • 1984/04中旬から同年10月下旬 東北里3号招待所で、定められた日課表にしたがい、政治思想学習、情報学実務学習、映画観覧など工作実務教育を受け、同年6月初旬日未詳19:00頃、平壌市大城区域所在の嵋山招待所で、パキスタンのカラチを経由して入北して同招待所に収容された朴コンチャの歓迎宴に参加して彼を激励し、同月下旬日未詳19:00頃、嵋山招待所で朴コンチャのために設けられた歓送宴に参加して彼を激励し、同年8月初旬日未詳19:00頃、嵋山招待所で、パキスタンのカラチを経由して入北して同招待所に収容された方元正の歓迎宴に参加して彼を激励し、同月下旬日未詳17:00頃、嵋山招待所で方元正のために設けられた歓送宴に参加し、同年9月初旬日未詳10:00頃、東北里3号招待所で金指導員から、基本任務指示.
  • 1984/10下旬日未詳18:00頃 東北里3号招待所で歓送宴.
    • 翌日09:00頃、ピョンヤンの順安飛行場から、パキスタンのカラチ駐在の指導員である姓名未詳の指導員の案内で、北傀民航機便で出発、同日11:00頃(以下、現地時間)に北京空港に到着して待機し、同日22:00頃、ルーマニア航空便で出発、翌日02:00頃、パキスタンのカラチ空港に到着して、カラチ市内所在の北傀駐在員の宿所で1泊し、翌日09:30頃、カラチ空港から同指導員に仮名であるハ・ラッキ名義の北傀旅券を返納し、彼と別れて、西ドイツ航空便で出発し、同日16:00頃、タイのバンコク空港に到着、バンコク市内の商号未詳のホテルに投宿して1泊し、その翌日である1984年10月26日11:00頃、バンコク空港からタイ航空便で出発し、同日21:00頃、東京の成田空港に到着して、日本に浸透し、同月下旬日未詳、神奈川県横浜市中区扇町の簡易宿泊所「林」会館519号室に、1日の宿泊料1000円で入居して新しい潜伏処を用意し、1984年12月20日00:00頃、林会館の潜伏処で、日本製ソニーラジオのダイアルを短波5535キロヘルツのピョンヤン放送に合わせ、呼出し符号952号により、A−3電文63条を受信、暗号解読用書籍『坑夫』を使って解読.
  • 1985/01月下旬日未詳12:00頃 東京都豊島区東池袋1−23−1の方元正が経営する「ニューコリアン」クラブで、同人からチョ・ジョンチェが入手して送ってきた2級秘密の表示がある「チームスピリット' 85訓練計画書」を受け取り、国家秘密を探知・収集することにより、反国家団体の構成員がその目的遂行のために間諜.
  • 1985/02/24 15:00頃、東京の成田空港から、方元正と彼の内縁の妻である朴オクランとともに、金浦行き大韓航空便で出発.金浦空港に到着.
  • 1985/02/24 18:00頃 チョ・ジョンチェに直接会って「チームスピリット' 85訓練計画書」資料についての活動評価するとともに完全包摂の可能性を最終確認.
  • 1985/02//25 10:10頃 光化門の教保ビルの地下1階にある教保文庫で、北傀に報告するための情報資料として『韓国外資導入案内』1冊(1985年度版、大韓商工会議所発行)、『週刊内外経済』4冊(韓国銀行発行、1166号、1193号、1197号、1202号)、月刊誌『新東亜』1冊(1985年3月号、東亜新聞社発行)などの図書刊行物を購入.
  • 1985(昭和60年)/06/28 逮捕
  • 1985/11/30 原敕晁さんになりすまして韓国に潜入中逮捕.国家保安法により死刑判決.
  • 2000/08/27 日本の警察庁の捜査員数人が27日、韓国入り.9月2日に非転向長期囚の一人として朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に送還される辛光洙・元服役囚へ の聴取.韓国の捜査当局も協力する構えだが、昨年末に特赦された辛元服役囚本人は聴取を拒否.
  • 2000/09/02 金大中韓国大統領の太陽政策の下に恩赦.非転向政治犯のまま板門店を通り北への帰国.

判 例


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通 説

  • 普通、党内野党は与党の監視下におかれるが、国防予算をさいていたわりには、「国中外国」=在日朝鮮人に対して「監視・情報収集」をしていなかったことがわかる.それどころか一体となって国内利権をわかちあっていたのはどういうわけであろうか.
  • 2006/01/05 原敕晁さん・地村さん拉致実行犯というが...おまけに曽我ひとみが辛光洙から聞いたとして「横田めぐみさん拉致実行犯」というが、番組の宣伝か?にわかには、信じがたいが、警察庁は、石川・新潟県警に合同捜査指示とはりきっているが、今後も真実は出ないと見たか.実行犯というが、辛光洙は、韓国側捜査では、拉致当時、日本にいちことが明記されていない.(北朝鮮にいたことになっている?).
    • いち早く北朝鮮に順化している曽我ひとみの話だから、話半分.政府が口止めしていたのだろうか.それならそもそもいわないだろう.横田さんには口止めしているが、偉くなったものである.
  • 1989年、韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人の政治犯29名について釈放を求めるという趣旨の要望書が、社会党・社民連・公明党・無所属の議員有志らの署名とともに、韓国政府に提出された。この中に、辛光洙の名が含まれていた。--土井、菅ら内政を精査しない組織政治家が署名しているもよう.
  • 先の菅、土井の他に山口鶴男、田辺誠、 村山富市、青島幸男、上田哲、田英夫、山花貞夫など、かつての有力議員達に混じって 公明党の塩出啓典元議員以下6名
  • ttp://nyt.trycomp.com/hokan/0025.html
  • 2000年1月9日ジン・ネット:かつて辛光洙と日本で同居していた在日女性、朴春仙(パク・チュンソン)さんとともに韓国ソウルに飛び、辛光洙を直撃した。
    • 朴春仙さんと辛光洙との1時間に及ぶ会話の全記録http://www.jin-net.co.jp/sakuhin1.htm
    • 1994 朴春仙「北朝鮮よ、銃殺した兄を返せ!」(ザ・マサダ刊)
  • 朴さんは、高から「辛が済州島出身の韓国人女性に、韓国クラブを開かせ、その女性との間に子どもをもうけた」という話を聞いた事があった。恐らくこの女性の事と思われる。となると、対南工作のため、辛が直接韓国クラブを開かせていたという事を、自ら明かしている事になり、興味深い。 ちなみに、辛と共に韓国で逮捕された方元正も、池袋を拠点に韓国クラブを経営していた。(店の場所は、辛が所持していた原さん名義の免許証にある「東京都豊島区東池袋」という住所に隣接していた。)
  • 金吉旭という男がいる。原さん拉致の実行犯の一人で、後に辛と共に韓国で逮捕された男である。我々はすでに彼を取材し、重要な言質を取っている。その取材結果をここにはじめて公表しよう。済州島に住む彼をはじめて取材したのは、朝日放送の石高プロデューサーである。石高氏は「判決にあるのは事実か?」と問い質し、金が泣きながら頷き、これを肯定するというスクープをモノにしている。ジン・ネット取材班は、三度にわたって彼を直撃したが、いずれも取材を拒否されている。だが、取材班を振りきり、家の中に逃げ込もうとする彼に、「宮崎で原さんを拉致しただろう。」と詰め寄ると、金は苦し紛れにこう言ったのである。「おれは別府までしか行ってない!」
  • 辛光洙は実行犯なのか指揮=共同謀議なのかしっかり報道せや.拉致されてあとから半島で聞いたのかも含めて.辛光洙はなぜ、曽我ひとみに横田さん拉致が自分だといったのか.地村さんは展望台拉致とはっきりいわないし、父ちゃんは総連関係の実行犯と写真週刊誌で対決していたし.蓮池氏は「タバコの火を貸してくれ」は西新井事件のバクといっているらしいし...日本人村の監視役をやっていたと推定できるが本当のことをまだいっていない.みんなわが身大事か.情報流出は作為的・政治的だし、寄付金だけとられる国民はあわれなもんだ.

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