事件を見にゆく / 1988東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件
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1988宮勤・東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件

Table of Contents

経 緯

  • 被害者
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氏名年齢住所行方不明日遺体発見場所発見日
今野真理ちゃん4埼玉県入間市1988/08/20東京都あきる野市1989/09/13遺骨発見
吉沢正美ちゃん7埼玉県飯能市1988/10/03東京都あきる野市1989/09/06遺骨発見
難波絵梨香ちゃん4埼玉県川越市1988/12/09埼玉県名栗村1988/12/15全裸死体
野本綾子ちゃん5東京都江東区東雲1989/06/06飯能市宮沢湖霊園;都奥多摩町1989/06/11胴体;08/10頭部発見*1
?6東京都八王子市1989/07/23未遂逮捕
犯行日順
  • 平成元年7月23日午後5時頃、東京都八王子市で印刷業・宮勤(当時27歳)は小学校1年生の女子(当時6歳)に「写真を撮らせてね」と近づき数枚撮影した後、車に連れ込み郊外の山林で全裸にしてビデオ撮影しようとしたところを、後をつけて来た女子の父親に取り押さえられた.
  • 平成元年6月6日失踪した野本綾子ちゃん(当時5歳)を猥褻目的で誘拐・殺害自供.8月10日、宮の供述通り東京都奥多摩町の山林で綾子ちゃんの頭部を発見.警察庁広域重要117号指定.
  • 昭和63年8月22日:埼玉県入間市の幼稚園児で今野真理ちゃん(当時4歳)に声をかけて車に乗せて八王子市郊外の山林で絞殺.さらに殺害後、ビデオカメラで陰部などを撮影し死体を埋めた.
  • 翌年の1月、殺害現場から真里ちゃんの白骨化した頭部を持ち帰り自宅の庭で焼き、遺骨をダンボール箱に入れて真里ちゃん自宅マンション玄関前に置いたのも宮本人であったことが判明.ダンボール箱の中には真里ちゃんの遺骨以外にコピー用紙で「真理・遺骨・焼・証明・鑑定」という文字.
  • 2月10日から11日にかけて犯行声明(note)が「今田勇子(=今だから言うという意味か?)」名で朝日新聞社と今野家に郵送.
  • 新聞で真理ちゃんの葬儀が3月11日に行うことが記事になると、朝日新聞と今野家に第二の犯行声明.その文面の一部に「お葬式をあげて下さるとのことで、本当に有難うございました」という内容が記載されており、遺族の怒りは頂点.
  • 同年10月3日、埼玉県飯能市で小学校1年生・吉沢正美ちゃん(当時7歳)も同様に八王子市郊外の山林で猥褻目的で絞殺.
  • 同年12月9日、埼玉県川越市の幼稚園児で難波絵梨香ちゃん(当時4歳)も猥褻目的で誘拐し絞殺.死体を埼玉県名栗村の山林に遺棄.
  • 4人を猥褻目的で誘拐しその後殺害.殺害後に猥褻行為をしてビデオカメラやポラロイドカメラで撮影するという猟奇幼女連続殺人事件の犯人として起訴.
  • 捜査本部は宮の自宅を家宅捜査:約6000点という膨大なビデオテープと大量の漫画本.この押収したビデオの大半は、アニメやアイドル、子供向け特撮などの録画テープであったが、その一部から犯行を自ら撮影したビデオ.
  • 部屋は窓が無く、膨大なビデオテープや漫画が所狭しと並べられていて異様な雰囲気.宮は後に「オタク」と呼ばれるようになった.

犯人像

  • 宮勤(当時27歳) 生存していれば現在:55歳 東京都五日市町(現在、あきる野市)
  • 昭和37年8月20日 東京都五日市町(現在、あきる野市)の地元新聞会社経営の父親の長男として出生.祖父が村会議員、父親が自治体の役員. 生まれつき両手の掌を上に向けることが出来ず(先天性撓尺骨癒着症)、いわゆる「頂戴ポーズ」が出来なかった.父親との関係は極めて希薄で会話が殆どなかった.(父親は事件後の平成6年11月21日多摩川で投身自殺)
  • 高校を卒業して東京工芸大学(短期部)の画像技術科入学.
  • 昭和58年3月:短大を卒業.
  • 東京都小平市の印刷会社に就職(父親の紹介)3年後に退社.実家に戻り、引篭もりがちの生活.
  • 昭和63年5月に宮が唯一心の拠り所にしていた祖父が脳溢血で死亡.2ケ月後、今野真理ちゃん殺害.
     
     
     
     

第一・二審

1989/10/19 身柄、狭山署から東京拘置所へ移送. 
1990/03/30 東京地裁で第1回公判.幼女の「両手は自分で食べた」.
1990/03/31 立川簡裁で宮崎の両親が検察側証人として出廷し,非公開で証人尋問.
1991/01〜1992/03 慶応大・保崎秀夫教授らによる精神鑑定(第1回鑑定) 
1992/03/31 「善悪を判断し、その判断に従い行動する能力は保たれていた」と責任能力を認める保崎鑑定書提出.
1992/11/11 初の被告人質問で「祖父の遺骨を食べた」などと供述.弁護側が再鑑定
を申請.
1992/12/18 再鑑定を内沼、関根、中安の3人に委嘱.公判中断. 
1993/01〜1994/11 帝京大・内沼幸雄教授らによる精神鑑定(第2回鑑定). 
1994/11/21  宮崎の父、多摩川に投身自殺. 
1994/11/25 「多重人格を主体とする精神病で、善悪の弁識能力などが若干減弱していた」として
責任能力は限定的とする内沼・関根鑑定書提出.
1994/12/19 「精神分裂病で心神耗弱に相当するが免責される部分は少ない」
とする中安鑑定書が提出.
1996/10/07  検察官が死刑を求刑(第36回公判) 
1996/12/25  弁護側が最終弁論で「心神喪失か心神耗弱だった」と主張. 
1997/04/14  で死刑判決(第38回公判→控訴)
2001/06/28  東京高裁、控訴を棄却.2審も死刑判決.

最高裁判決

  • 一、二審死刑判決.
  • <連続幼女誘拐殺人>宮崎被告の死刑確定へ 最高裁上告棄却
    88〜89年に埼玉と東京で幼女4人が殺害された連続幼女誘拐殺人事件で、殺人罪などに問われた宮崎勤被告(43)に対し、最高裁第3小法廷(藤田宙靖(ときやす)裁判長)は17日、被告側の上告を棄却する判決を言い渡した。1、2審の死刑判決が確定する。被害者宅に遺骨や犯行声明文が届き、社会に大きな衝撃を与えた事件の裁判は、初公判から約16年で決着。第3小法廷は「被告に責任能力があるとした1、2審の判決は正当として是認できる。自己の性的欲求を満たすための犯行で、動機は自己中心的で非道。酌量の余地はない」と宮崎被告を断罪した。  ◇判決は4裁判官全員一致の意見。  宮崎被告は捜査段階で詳細な自白をしたとされるが、公判に入って「殺意はなかった」「わいせつ目的で誘拐したことはない」と起訴事実の一部を否認。「夢の中でやったような感じ」などと不可解な供述をした。このため、裁判では被告の責任能力が最大の争点となった。  上告審で弁護側は、宮崎被告が拘置されている東京拘置所での投薬状況に基づき「統合失調症を想定した治療が行われていることは明らか」と指摘。「精神疾患が事件に影響を与えたことに争いの余地はない」として、審理を高裁に差し戻し、再度の精神鑑定を行うよう求めた。検察側は「2審判決に誤りはない」と主張していた。  1審・東京地裁で2度にわたって行われた精神鑑定は(1)極端な性格の偏り(人格障害)で完全な責任能力がある(2)多重人格を主体とする反応性精神病で責任能力は限定的(3)統合失調症で責任能力は限定的――の3通りに結論が分かれた。地裁は完全責任能力を認める鑑定を採用し、97年に死刑を言い渡した。2審・東京高裁は弁護側の鑑定請求を却下、01年に控訴を棄却した。【木戸哲】  ◇1、2審の認定事実  宮崎被告は▽88年8月、埼玉県入間市で幼稚園児(当時4歳)を誘拐、東京都あきる野市の山林で殺害して遺体を焼いた▽同年10月、埼玉県飯能市で小学1年生(当時7歳)を誘拐、あきる野市の山林で殺害した▽同年12月、埼玉県川越市で幼稚園児(当時4歳)を誘拐して飯能市で絞殺、遺体を山林に捨てた▽89年6月、東京都江東区で保育園児(当時5歳)を誘拐、殺害して遺体を捨てた▽89年7月、八王子市で小学1年生にわいせつ行為をした。 (毎日新聞) - 1月17日14時53分更新
  • 上告審では、1、2審に続き、犯行当時の宮崎被告に完全な責任能力が備わっていたかが最大の争点となった。1審・東京地裁での精神鑑定は、〈1〉極端な性格の偏りはあったが精神病の状態にはなく、責任能力は完全〈2〉多重人格を含む精神病で、責任能力は限定的(心神耗弱)〈3〉統合失調症で心神耗弱――の3通りの結論に分かれていた。 刑法は、心神耗弱の場合、刑を軽減すると定めている。1審判決(97年4月)と2審・東京高裁判決(2001年6月)は捜査段階の自白などを根拠に、完全責任能力を認めた鑑定を支持した。弁護側は上告審で、「拘置所で精神病治療の投薬を継続的に受けており、犯行時も精神病だったのは明らか」と主張。自白調書も違法な取り調べによるものだとして、審理を高裁に差し戻して再鑑定するよう求めた。しかし、判決はこれを退けた。(読売新聞) - 1月17日14時6分更新
  • 2008/06/17 午前[鳩山邦夫法相]死刑執行...(満45歳没)

付 記

  • 被害者家族も加害者家族も離散しているということは、取材の自由・裁判(殺害方法)公開の原則を制限する必要があるということ...で、後年、法改正があるだろ.
  • 著書に「もっともっと有名になりたい」と書いた宮崎被告。二月には創出版から二冊目の著書が出る予定だ。共同通信への手紙では、第三者の協力で「電子出版」したというインターネット公開の画集についても触れ、記事の配信先を「特にサウジアラビア王国、イギリス、オランダはお忘れなく」と指定した。(西日本新聞) - 1月17日15時3分更新
  • 198 名無しさん@6周年 New!
    宮崎家の事件後は悲惨の一語につきる。 父親が地方紙を主催していた為、情報をオープンにしたのが仇となり 見るにに堪えない記事が雑誌に躍った。 その結果の家族の末路は惨すぎるものである。
  • 父……法廷では息子に散々罵倒され佐木隆三や記者達には「国選弁護人に任せる税金泥棒」「出家すると言いつつ未だに出家しない」 「家の中では絶対権力者の暴君」と散々雑誌等で私生活を非難された。 95年ごろ再就職した警備会社の同僚に事件のことをあげつらわれたのがキッカケで青梅市のつり橋から投身自殺した。
  • 母・・・・・・70歳を過ぎた老母。身体が不自由らしい。内職で生計を立てつつ息子にアニメ誌や漫画、筆記用具を差し入れていた。 生活が苦しく差し入れが少なくなった時、息子は友人に「差し入れが少ない」と母を罵倒する手紙を送りつけた。
  • 祖母・・・・・・事件当時認知症で施設で暮らしていた。91年ごろ死去。
  • 上の妹・・・・・・沖縄の青年と結婚が決まっていたのに破綻。婚約者は結婚を望んだが本人が断ったとも言う。
  • 下の妹・・・・・・看護師を目指して病院に住み込みをしていたが事件後退職。事務員をしているらしい。
  • 宮崎家の従業員・・・事件後全員解雇。退職金も貰えなかったらしい。結構老齢の人が働いていたらしく再就職は難しかった模様。
  • 4遺族のうち3遺族が、この事件がきっかけで離婚して、一家離散してるからな。
  • ttp://profiler.hp.infoseek.co.jp/tutomu.htm
  • 最高裁で17日に死刑判決を受けた幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤被告(43)は18日朝、東京拘置所で臨床心理士の長谷川博一・東海女子大教授と面会、「昨夜は眠れたか」と問われ「わたしを殺そうとしてえたいの知れない者が騒ぎ、寝るのが遅くなった」と話した。  長谷川教授が面会するのは判決前日と判決直後後に続き3回目。一貫して無表情で視線を合わせなかったが、将来については「天国に行く」と答え「死刑で行くのか」との問いには「違う」と否定したという。  宮崎被告は判決直後の面会で死刑判決について「何かの間違いです」「そのうち無罪になります」と発言。この日も同じことを繰り返したという。 (共同通信) - 2006/1月18日13時8分更新
  • 「勤は幼い時、手が不自由なのを気にしていた。一時は手術させようと思ったが、手術がうまくいかない場合のことを考えてやめた。勤はその後、うまくいかないことのすべてを、手のせいにしていた」 被害者、遺族の悲劇はいうに及ばないが、事件で宮崎家の家族や親類の多くも婚約の破談、離婚、退職に追い込まれた。改姓した親族もいた。逃げるように住み慣れた町を後にした人もいた。父親は被害者への賠償金を支払うため先祖代々の土地を売り払い、五年後の九四年十一月、青梅市内の多摩川にかかる橋の上から飛び降り、自殺した。 東京新聞 www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060118/eve_____sya_____002.shtml
    • 800万で買い叩かれた。 200万づつをそれぞれの家族に慰謝料として払ったらしい。
  • 2017/10/07(土) CX 土曜プレミアム・30年目の真実 〜東京・埼玉連続幼女誘拐*人犯・宮崎勤の肉声〜

note

*1 野本綾子:宮沢湖霊園内の簡易トイレの裏で両手足首が切断された全裸死体で発見.手の障害を嘲られたことに逆上し殺害.手首は食べたという
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