北朝鮮 拉致拉致 / 曽我ひとみ
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■妙なところで会うもんだ・・・曽我ひとみさんのお父さんにはバス停「国府(こくぅ)橋」であったし、河原田(かわっら)パチンコのかえりだそう、ジェンキンスさんには真野の土産物売場とかどこかの雑木林で一瞬、空地になるところですれ違ったし・・・「ヘーイ!サージェント(Sergeant 軍曹)!」こいつアホかという怪訝そうな顔をしていた・・・ひとみさん本人も「ヒラセイ」でバイク部品を購入しようとレジに並んでいたらうしろにいたし・・・とにかく佐渡とはおかしなところである(「61歳の抵抗」抜粋)

■ああ、それから・・・最後取材を終えて離島するとき腹ごしらえで佐和田にできたばかりのハンバーグ屋で名前を書いて順番を待っていたらジェンキンスさんが先客であった、特上バーグを通訳の人(本間啓五さん)とうまそうに隣席で食っていた。誰がめづらしがって集って話しかけるでもなくほっとかれ新入居者にはありとあらゆる嫌がらせをしかけてくる風土にしては不思議とわざとらしく無視されすっかり村社会になじんでいた・・・ように見えた・・・

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よど号関係 / ホン・レンイン / 横田めぐみ / 加瀬テル子 / 河合美智愛 / 関谷俊子 / 金賢姫 / 金淑姫 / 金正雲 / 金正恩 / 金正男 / 金正日 / 金日成 / 古川了子 / 国井えり子 / 佐々木悦子 / 山本美保 / 松本京子 / 森山幸子 / 辛光洙 / 生島孝子 / 石川千佳子 / 曽我ひとみ / 脱北美女の面々 / 中村三奈子 / 辻出紀子 / 田口八重子 / 渡辺秀子 / 藤田進 / 藤本健二 / 年表 / 平島筆子 / 有本恵子

曽我ひとみ

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北朝鮮拉致者
NAMEINI1INI2SHURUIBWHSIZGKBIRTHTL
曽我ひとみSogaHitomiRachi1959/05/1759R
曽我ミヨシSogaMiyoshiMather1931/12/2886R
曽我茂SogaSigeruFather----/--/--73DeathR
ジェンキンスRobertJenkins1955/08/1077DeathR
曽我美花SogaMika長女1983/06/134R
曽我ブリンダSogaBlinda次女1985/07/2333R

曽我さんの証言

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  • 佐渡高校沢根分校(定時制)卒*1-1978年8月に、母親と買い物をした後、3人の男に襲われ拉致された。袋に詰められた後、小舟で川から海に出て沖で大きな船に乗り換えた。船上に日本語を話す女性が1人いたが、発音から日本人ではないようだったという。 (この女性は、曽我さんの父親のことを知っていた。付記)
  • 北朝鮮側は、曽我さんは日本人の請負業者から引き渡された、としていた。
  • 北朝鮮での状況は、招待所を短期間で移動しながら暮らし、朝鮮語の勉強をした。帰りたかったが、力がなかった。
  • 横田さんとは拉致から1週間後に初めて会い5カ月間、その後再会して7カ月間一緒にいた。さらに最後には80年の5月か6月ごろに会ったという。お互いのことは聞かないことになっていた。一緒にバドミントンなど運動をした。横田さん以外の日本人には会ったことはない。
  • 横田さんと最後に会って2カ月後に英語の勉強のため米国人の現在の夫と会った。今は生活費は国の支給で、招待所暮らしのため、家族と関係者しか会えないという。
  • 聞き取り調査では、拉致前の自分の写真を見せられ「妹ですか」と答え、自分と知らされて驚いた表情を見せた。また、母親の安否は「まったく分からない」と証言。調査団が母親の写真を見せると、「ほんとうですか。母親は今生きていますか」と話した。
    • ttp://trycomp.oc.to/jokyo/07.html
  • 私はすぐに、口をふさがれ、手足を縛られ、袋の中に入れられました。私はちょっとは、抵抗しましたが、男性3人の力と私の力では抵抗出来ず、体をパタパタとさせるくらいしか出来なかったのです。母は襲われるまで横にいたから1緒に襲われたと思いましたが、私はすぐに、袋に入れられ担がれ、その場を去った様なので、母の気配は感じることさえも無理でした。そして、私は1人に担がれ数分運ばれて、小舟らしいものに乗せられ、しばらくして、海へ出た気配を感じました。
  • 縛られて、袋の中に入れられたまま船の中で出発を待っている時に日本語を話す女性の声がしました。しかし、日本人ではないような気がしました。日本語の話し方が少しおかしいようでした。小さな声で話をしていたので内容は聞き取れませんでした。そして、誰と話をしているかも、その中にいる人数も、わかりませんでした。
  • 海へ出たあと、もう少し、大きい船に乗り替えました。袋のまま船室の中の一室へ運ばれ初めて袋から出してもらいました。部屋の中からは、一日中出ることもなく、その船の中で人を見たのは、朝と昼、2回の食事を運んできた男性のみ一人だけでした。
  • 1978年8月13日、17時頃、北朝鮮の清津に到着。(13日17時頃と、時間をはっきりと覚えているのは、拉致されたとき腕時計を身につけていましたので時間は覚えています。)清津について後、招待所に移動しましたが、その責任者に母の行方を聞きましたところ「日本で元気に暮らしているから心配しなくてもいい」と言われました。
    • ttp://www.sukuukai.jp/shiryo/paper05/02.html
  • 2004/12/24~ 北朝鮮による拉致被害者の支援組織「救う会」は二十五日、曽我ミヨシさん=拉致当時(46)=と石岡亨さん=同(22)=の二人について、十一月の日朝実務者協議で交わされた日本と北朝鮮のやり取りなどを、曽我ひとみさん(45)ら家族の了解を得て公表した。 そのなかで、北朝鮮はミヨシさんの拉致について改めて否定。日本側は「北朝鮮当局者が『曽我ミヨシさんには、お金をたくさん渡して帰した』と述べたとの情報がある」と問いただすと、北朝鮮側は「資料は見当たらなかった」と回答した。
  • 2004/12/24 曽我さんが、母の安否を尋ねたところ、女性工作員は、「お母さんは日本に返した」と答えた。曽我さんは、ミヨシさんが日本にいるものと思い、招待所で手紙を書き、指導員に託していた。
    *1 中卒後病院勤務.佐渡高校:1948 学制改革により、新潟県立佐渡高等学校.普通科、定時制、真野分室設置→1949 沢根分室設置→1951:定時制真野分室・沢根分室を分校→1955 定時制募集停止→1976 真野分校募集停止→1978 沢根分校募集停止

北朝鮮が呈示した個別情報

朝鮮名:ミン・ヘギョン 女 1959年5月17日生 本籍:新潟県佐渡郡 出生地:新潟県佐渡郡 住所:新潟県佐渡郡 現住所:平壌市スンホ(勝湖)区域リプソクリ(立石里) 前職:佐渡総合病院看護婦 現職:被扶養生活

  1. 入国経緯:1978年8月12日、特殊機関工作員が身分隠しおよび語学教育の目的で現地請負業者(日本人)に依頼し、引渡しを受けて連れてきた。
  2. 入国後:約2年間特殊機関の招待所において、語学の学習、参観を通じ、実情に慣れてきた。1980年8月8日、入北した元米軍兵士と結婚し、国家から生活条件を保障されて暮らしている。
  3. 家族関係:夫:チャールズ・ロバート・ジェンキンス(Charles Robert Jenkins)。1940年2月18日生で現在62歳。南朝鮮侵略軍第一騎兵師団8連隊1大隊C中隊の分隊長中士として勤務中に1965年1月5日入北。チャールズは、曽我ひとみさんと結婚し、2人の娘をもうけた。
    長女:美花、平壌外国語大学学生、1983年6月1日生、19歳、
    次女:ブリンダ、平壌外国語大学で勉強している。1985年7月23日生、17歳。
  4. 母・ミヨシさんについては承知していない。特殊機関工作員が現地請負業者から引き渡しを受けたのは曽我ひとみさん一人だけ。
  • ttp://trycomp.oc.to/jokyo/07.html

2004/12/16 週刊新潮

  • 拉致犯の影
    • 2004/12/02 衆院拉致問題特別委員会 西村真悟委員「曽我ひとみさんが拉致犯と、男もしくは女と町であった」と発言
    • 真野町40年前設立会社社長 韓国人で戦中、日本へ佐渡へ流れ着く

追 記

  • 2003/09/26 石原慎太郎「曽我ミヨシさん殺された」
    「年寄りだから殺された」発言、石原知事が撤回 東京都の石原慎太郎知事が都議会の答弁で北朝鮮に拉致された曽我ひとみさんの母ミヨシさんについて、「さらってみたら年寄りだったから殺された」などと発言した問題で、石原知事は26日の本会議で、「配慮に欠けるものと反省している。一日千秋の思いで肉親の帰りを待ちわびている曽我さんをはじめとする被害者の方々の切実な願いを心ならずも傷つけてしまったことは、痛恨の極みであり陳謝いたします」などと述べ、発言を撤回した。
    • 自分に都合の悪い発言を撤回させるのは自由だが、石原慎太郎の仲間には元警察官僚亀井静香なんかいて独特の情報網をもっているから撤回したとしても油断できない.
  • 曽我拉致事件の真相推理
    日本側協力者がほとんど特定されている.現地の朝鮮人を中核とする建設業グループだ.女工作員はここにまぎれていたわけだが、社長が保証人になって自由に部落の飲食店をまわっていたかも知れない.山裾に位置する事務所であったが道一つ移動すると犯行のあった350号線につながる.犯人側は、拉致する女の吟味に期限付きでとりくんでいたが、犯行日がタイムリミット.誤算は、親娘の二人連れだったこと.母親が船内で激しく抵抗したため船上で射殺、これを投棄したとの見方もあるが、近海では佐渡に死体が流れ着く危険がある. 関係者にに統制され書き直されている「曽我発言」は、寡黙・アバウトゆえに「真相」に近づく場面がある.自分が最初に袋に入れられ運ばれたとある.あとから小舟に母親が来た形跡がなく、小舟で比較的長い時間、「朝鮮人の会話」を聞いている.トラブルについての最後の打ち合わせだろう.母親の袋づめが「国府川」小舟に運ばれた形跡がない.袋が二つそろったなら早々に母船に向かうはずである.母親は、普通の女性でない.家計を助けるため「鉄筋工」をやっていた.大暴れしたはずである.日本側で殺害されているとしてこの死体はいずこへ????荷物が二つとも船に運ばれたと考える必要はない.この女工作員と母親は顔見知りだろう.大きな木の下で殺害されている可能性がある.そうなると、どうやら、彼らの陣地、山を探したくなった.この○○組が当時、どこの「公共事業」をやっていたかで死体の場所がわかるはずである.
  • 2004/12/28またコメント
    母親の誕生日、ミカが母親に似ていてどきっとするとの手記.どうでもよい.向こうにいたがった人の日本での関係のない話ばかり、少し黙っていてもらいたい.NHK両津支局の曽我好き偏執病記者、なんとかならないか、例によってニュースを作り出す気になってコメント作成指示をしているのだろう.私人の 日常生活は報道すべきではない.報道すべき「拉致事件」はあと百件ある.
  • 北朝鮮による拉致被害者、曽我ひとみさん(45)の父、茂さん(73)の葬儀が9日午前、佐和田「黎明」で行われた。中山恭子・前内閣官房参与や「救う会」の関係者 蓮池薫さん(47)と祐木子さん(48)=柏崎市、地村保志さん(49)と富貴恵さん(49)=福井県小浜市=の両夫妻も参列。
  • 2005/02/07 茂さんは入院先の病院で7日亡くなった。8日昼に荼毘(だび)に付され、同日夜の通夜には近所の住民ら約80人が参列した。
    • 2005/02/07 曽我茂(そがしげる)さん午前、佐渡市の病院で死去.食道がんによる呼吸不全.73歳.佐渡市出身.自宅:佐渡市四日町530.
  • パチンコ屋からのかえりか、「国府橋」停留場での姿、記者から何を買いに行くと聞かれ「うんめぇもんさ」.何をいうかわからんから病院から出すなといわれたといううわさ..そんなにすぐに死ぬようには見えなかった.ガンを治療できる病院へ入れてあげたかった.娘は親不孝者だ<佐渡病院は治療病院ではなく検査病院とのこと>.
  • 2005/05/06Go Friday ドランカー・ジェンキンスあばれて娘交番でご宿泊.
  • 2005/04/29 曽我ひとみ 高野宏二郎母高野恵壽子(市長宏一郎養母)の葬儀に出席 佐和田黎明.
    • 付記:市長別居東京妻目撃さる.
  • 2005/10/08 告白告白告白あまなつAdhover 告白 チャールズ・R・ジェンキンス (著), 伊藤 真 (翻訳)角川書店 ; ISBN: 4047915106
  • めぐみさんは、危険を承知で外貨ショップ経由でソガヒトミに手紙を書いた.結婚する時は自分が大切にしていた寄居中学の通学カバンをプレゼントしたにもかかわらず、曽我ひとみは「返事」を書かなかった...権力・体制に従順で適当に生き延びる庶民と、最後まで日本国民であること・友情をわすれないひとみさんとは好対照である.繁殖快楽に目覚めブタの道を選んだ人には吐き気がする.親の教育の違いだろう.
  • 2006/02/03 曽我さん拉致、北の工作員1か月以上待ち伏せ 拉致被害者曽我ひとみさん(46)の夫チャールズ・ジェンキンスさん(65)は2日、新潟県佐渡市内で読売新聞の取材に応じた。 北朝鮮の女性工作員から聞いた話として、「(曽我さんは)狙われ、待ち伏せされた。(工作員は)佐渡で1か月以上待った」などと証言。事件が周到に計画された可能性が高いことを明らかにした。曽我さんが事前に狙われていたとする関係者の証言は初めて。 ジェンキンスさんは、北朝鮮で曽我さんと知り合った直後の1980年、40歳くらいの女性工作員と話す機会があり、「(曽我さんは)彼らが拉致した中で捕まえるのが一番難しかった」などと聞かされたという。曽我さん親子が狙われた理由については、ジェンキンスさんは「分からない」としている。 准看護師だった曽我さんは78年8月12日夕、買い物帰りに、母ミヨシさん(当時46歳)とともに自宅近くの国道で3人の男に拉致された。曽我さんの証言では、北朝鮮へ向かう船内に「日本語を話す女性工作員がいた」という。 また、曽我さんが帰国した直後の2002年11月ごろ、ジェンキンスさんは北朝鮮から「(曽我さんが)戻ってこない場合、再婚しないか」と勧められたとも証言。相手は、北朝鮮に拉致されたとみられるタイ人女性、アノーチャ・パンジョイさんだったという。 一方、今後については、「今夏は佐渡で、英語を話す外国人向けツアーのガイドをしたい」などと語った。7月末に日本国籍の取得を申請するという。(読売新聞) - 2月3日8時41分更新
  • 2006/02 ジェンキンスさん「曽我さんが拉致前ビデオ撮影され、背が高いため狙われた可能性」 拉致被害者の曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンスさんが、新潟・佐渡市でFNNの取材に応じ、「曽我さんが拉致の前、ビデオ撮影され、北朝鮮にいる外国人と結婚させるために、背が高い曽我さんが狙われた可能性が高い」と話した。 ジェンキンスさんは「ひとみたちをいつも追っているビデオがあった。それは何のためか。彼ら(北朝鮮)は、背の高い人を探していた。ひとみが狙われていたと確信している」と話した。 ジェンキンスさんによると、北朝鮮は、国内にいる外国人と結婚させるために、背が高い女性を物色し、曽我さんが狙われた可能性が高いという。 また、ジェンキンスさんは、曽我ひとみさんと知り合った直後、ピョンヤン市内で女性工作員と話す機会があり、「曽我さんは彼らが拉致した中で捕まえるのが一番難しかった」と聞かされたという。 ジェンキンスさんは「当時、ひとみは看護学生で、家に帰らず、学校に泊まり試験勉強をしていた」と話した。 さらに、2人は軍の「519部隊」に所属していて、それぞれ英語と日本語を4人程度のクラスで集中的に教え、スパイ養成講座の一部を受け持っていたことも明らかにした。 ジェンキンスさんは「わたしは午前中に英語、ひとみは午後に日本語を教えた。わたしたちは(北朝鮮の)スパイ養成学校にいた」と話した。 ttp://fnn.fujitv.co.jp/headlines/CONN00084885.html
  • ジェンキンス氏がフジテレビのインタビューで語ったものだが、これ聞いてすぐ思ったのは、あの時代にビデオなんてあったの?というもの(笑)。ちょっとネットで検索してみると1976年にVHSの家庭用ビデオデッキが発売されたようですね。ビデオカメラとなると1980年代になってから。確か、発売当初のビデオカメラってバッテリーを肩から担ぐような大きなものだったような記憶があります。曽我ひとみさんが拉致されたのは1978年。 ジェンキンス氏のインタビューでは、曽我さんが通っていた看護学校の遠足(ジェンキンス氏はピクニックと言ってましたが)の模様が撮影されていて、それを北朝鮮本国に送り、その多くの生徒の中から背が高いひとみさんを拉致の対象者として選ばれたようだ、と語っています。このビデオを撮影したのが工作員だとも。 本当にビデオが撮影されたのだとすれば、業務用のかなり目立つカメラが必要だっただろうし、東京あたりから「工作員」が佐渡に渡って看護学校の生徒達を撮影していれば、「あれは誰だ?」となったことでしょう。となれば、そういうことをしても特に怪しまれない立場の人が「工作員」としていたのではないか、となります。 かつて西村眞悟議員が国会で、曽我ひとみさん拉致に関わった人間が今現在も佐渡にいる、ということを発言し、後、曽我さんと高野真野町町長(現・佐渡市長)の抗議で撤回しましたが、事情を知る人の中では「あれは本当だ」と言われているそうですし、「名前もわかっている」とも聞きます。北朝鮮は9.17の訪朝後、曽我さん拉致に関して日本の請負業者から引き渡された、という情報を出しています。「請負業者」などがいるはずはなく、それこそが辛光洙のような工作員によって協力者に仕立て上げられた土台人や、あるいは朝鮮総連の活動家の組織だったはずです。 まぁ、例によってインタビューの内容は、あいまいな部分が多く(例えば、ジェンキンス氏がそのビデオを実際に見たのかどうかもあいまい)、これだけで何かを言うことは出来ないのだろうが、実際の「拉致」に至るまで相当な準備があったことはうかがわせる。警察はこの部分の解明こそ力をいれるべきではないのだろうか。 久米裕さん拉致、原敕晁さん拉致に関わった人間が、その後も何食わぬ顔で日本で生活していることは事実である。曽我ひとみさん拉致に関わった人間も同様に何食わぬ顔をして佐渡にいる。そう考えるのは特別難しいことではない。この人間たちの多くが朝鮮総連の活動家であったり、傘下団体の理事長だったりする。それを何ら総括も出来ないでいる限り、朝鮮総連の施設に「公益性」があるなどとは決して言えない。 (電脳補完録ー別館 - BLOG)
  • 学校に北朝鮮協力者
  • 2006/03/07 日韓に向けミサイル配備 ジェンキンス氏が証言 【ロンドン7日共同】拉致被害者、曽我ひとみさん(46)の夫チャールズ・ジェンキンス氏(66)は7日付英紙インディペンデントとのインタビューで、平壌の元自宅付近の山中に、旧ソ連が設置したミサイルがあり、それぞれ日本と韓国を標的にしたものだったと語った。  曽我さんとともに拉致され、失踪(しっそう)したままの母ミヨシさん=当時(46)=については「(拉致グループが)頭を殴って海に投げ込んだと思う」との見方を示した。  同紙によると、米国籍のジェンキンス氏は7月に日本国籍を申請する予定。(共同通信) - 3月7日19時30分更新
  • 2004/12/04 西村眞悟議員が国会で、曽我ひとみさん拉致に関わった人間が今現在も佐渡にいる、ということを発言し、後、曽我さんと高野真野町町長(現・佐渡市長)の抗議で議事録削除⇒のちに政府は、2004当時、女の犯人の名前を知っていたと認める(↓)
本来犯人画像.朝鮮顔でやめた
  • 2006/11/02 曽我ひとみ拉致、北朝鮮の女(当時北朝鮮労働党対外情報調査部所属)に逮捕状  北朝鮮による拉致事件で、新潟県警は2日、曽我ひとみさん(47)を拉致したとして、国外移送目的略取などの疑いで女1人の逮捕状を取った。  女は北朝鮮国籍の通称キム・ミョンスク容疑者。70〜80歳ぐらいで、現在は北朝鮮にいるとみられる。  調べによると、キム容疑者は1978年8月12日夕、新潟県真野町(現佐渡市)の自宅近くで曽我さんと母親のミヨシさん(当時46歳)を拉致した疑い。曽我さんは、これまでの警察の調べに対して、「実行犯の中には北朝鮮の女性工作員がいた」などと証言していた。また、集会などでは「3人組の男に拉致され、船に乗せられた。その際、日本語を話す女の声が聞こえた」とも話していた。(読売新聞) - 11月2日15時18分更新
    • 男3人に指示、事件前後しばらく佐渡(日本)に滞在.
  • 2003/10 旧真野町 保健衛生指導員
  • 2007/04/02 正職員採用(試験面接のみ)市養護老人ホーム「待鶴荘」(佐渡市栗野江1826<畑野>)准看護師
  • 2007/07/15[新潟市東京入国管理局](新潟出張所)ジェンキンス(2006/06-「ゴールデン佐渡」施設管理要員/真野・佐渡歴史伝説館・煎餅屋バイト)永住許可.
  • 2008/09/01[高野会見]次女ブリンダ(23)きまや津両ホテル(両津市秋津)退職<NSG国際ホテルブライダル専門学校卒(新潟市中央区古町通7番町935 NSG-スクエア4F)→2008/04-2008/08>.仕事:韓国からのツアー客誘致==個人プライバシーを会見で公表するところがサドらしい.曽我ひとみは「ひらせい」あたりでよく買い物している...
  • 2014/04/21(月) 衆議院の拉致問題特別委員会の議員団が21日、新潟県佐渡市を訪れ、 拉致被害者への支援策について曽我ひとみさん(54)と非公開で意見交換した。 終了後、曽我さんは記者団に「今は家族みんなが元気に働いているが、老後が心配だと伝えた」と明かした。 議員団は拉致被害者らへの給付金支給を定めた支援法が来年3月末に期限を迎えることから生活状況などを聞き取るため訪問。 出席した議員によると、曽我さんは夫ジェンキンスさん(74)が高齢なことから介護や生活への不安を口にする一方、 「いつまでも(国の支援に)甘えていていいのかという思いもある」と話したという。 支援法は曽我さんら5人の被害者が帰国した2002年に成立。10年に改正され、支給を5年間延長することが決まった。 蓮池薫さん(56)、祐木子さん(58)夫妻=新潟県柏崎市=は「自立の道が確立できた」として、10年4月から受給を辞退している。 ttp://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/04/21/kiji/K20140421008017810.html.
  • もういいかな、曽我さん最後の買い物(母親同行)は「アイスクリーム」(店の人は覚えていなかった)、近くに神社あり、国道ぞいに朝鮮人の会社あった。南京袋は隣町の商店でうっていた。また朝鮮人との博打にまけて殺人未遂事件がおこるようなところ・・・同じ街では、母親が男をつくり新潟に逃げたといいふらしているものがいた。
  • 2017/08/22(火) 【AFP=時事】1962年に米軍を脱走し、北朝鮮へと亡命したジェームズ・ジョセフ・ドレスノク(James Joseph Dresnok)氏が昨年死亡していたことを、同氏の息子らが認めた。ドレスノク氏の息子らによると、同氏は金正恩(キム・ジョンウン、Kim Jong-Un)朝鮮労働党委員長に対して忠誠の意を示していたという。 朝鮮戦争(Korean War)後の1962年、ドレスノク氏を含め数名の米兵が非武装地帯(DMZ)を越えて北朝鮮に亡命したが、他は死亡、または出国を認められたため、同氏は同国に滞在する最後の米脱走兵とみられていた。同氏は北朝鮮のプロパガンダ映画などに出演していた。 ドレスノク氏の2人の息子、兄テッド(Ted Dresnok)氏と弟ジェームス(James Dresnok)氏は、北朝鮮のサイト「わが民族同士(Uriminzokkiri)」のインタビュー動画に登場し、父親が昨年11月に発作を起こして死亡したことを認めた。 テッド氏は「父は74歳でこの世を去るまで、共和国の腕に抱かれ、党からの愛と配慮を受けた」と語った。テッド氏とジェームズ氏は共に北朝鮮で生まれ、インタビューでは強い北朝鮮なまりの朝鮮語で話した。 テッド氏は米朝政府間の緊張関係にも触れ、「米国の帝国主義者たち」は北朝鮮軍と国民に対する知識が乏しいままに「狂気じみた戦争ヒステリー」を起こしていると警告。戦争が勃発すれば「われわれは機会を見逃さず、米国を地球上から永遠に一掃する」と主張した。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170821-00000034-jij_afp-int
  • 2017/1212[NHK]拉致被害者 曽我ひとみさんの夫 ジェンキンスさん死去 北朝鮮に拉致され、その後、帰国を果たした曽我ひとみさんの夫で、平成16年から曽我さんの故郷、新潟県佐渡市で暮らしていたチャールズ・ジェンキンスさんが、11日、亡くなりました。77歳でした。 ジェンキンスさんは、アメリカ陸軍の兵士として韓国に駐留していた昭和40年、24歳の時に脱走して北朝鮮に入り、39年にわたって北朝鮮で生活しました。 その間に拉致被害者の曽我ひとみさんと結婚し、平成16年からは、日朝首脳会談のあと帰国を果たした曽我さんの故郷、新潟県佐渡市で暮らしてきました。 佐渡市の観光施設でみやげ物の販売員として働き、観光振興に貢献したとして感謝状を贈られたこともありました。 ジェンキンスさんは、北朝鮮の同じアパートに、拉致被害者と見られるタイ人やルーマニア人の女性がアメリカ人の脱走兵の妻として暮らしていたことを明らかにするなど、拉致が国際的な問題となる1つのきっかけを作りました。 また、平成19年には、タイのバンコクで開かれた北朝鮮の人権問題を話し合う初めての国際会議に出席し、拉致被害者と見られるタイ人の女性の北朝鮮での様子などを証言していました。 ジェンキンスさんは11日亡くなりました。77歳でした。
  • 2017/12/12[asahi]11日午後7時ごろ、自宅の外で倒れているのを帰宅した娘が見つけて119番通報。病院に運ばれたが、死亡が確認されたという。
  • 2017/12/14 通夜 佐和田「黎明」三浦市長顔出す
  • 2017/12/26 曽我ひとみさん夫死後初めてコメント出す
  • 夫はヘビィ・ドランカーで今の家でなく真野公営住宅にいるとき近所からの騒音苦情を承っておりましたw本国アメリカどころかこんな離島に流されたんだから好きにさせときゃいいとおおかただが、近隣の奴はいつもうるさいもんだ。。。

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